公式な最終回と別に、各学年が小学校生活を終える際に最後に読んだ『ドラえもん』があるだろう。
○1959年度生まれ(1959年4/2~1960年4/1生まれ)
1970年『小四』1月号「未来の国からはるばると」
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1970年『小四』3月号「けんかマシン」(1959年度生まれが観た最後の『ドラえもん』)
1970年『小四』1月号「未来の国からはるばると」
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1970年『小四』3月号「けんかマシン」(1959年度生まれが観た最後の『ドラえもん』)
1969年『小四』11月号にタイトルも主人公名もなくのび太が描かれた新連載告知が掲載され、また第2話は70年2月号掲載「ドラえもんの大予言」であった。
○1960年度生まれ(1960年4/2~1961年4/1生まれ)
1970年『小三』1月号「机からとび出したドラえもん」
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1971年『小四』3月号「ドラえもん未来へ帰る」
1970年『小三』1月号「机からとび出したドラえもん」
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1971年『小四』3月号「ドラえもん未来へ帰る」
○1961年度生まれ(1961年4/2~1962年4/2生まれ)
1970年『小二』1月号「未来から来たドラえもん」
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1972年『小四』3月号「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」
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(1年後、73年『小五』4月号から連載再開)
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1974年『小六』3月号「ユメコーダー」
1970年『小二』1月号「未来から来たドラえもん」
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1972年『小四』3月号「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」
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(1年後、73年『小五』4月号から連載再開)
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1974年『小六』3月号「ユメコーダー」
なお、1973年11月号『小六』11月号では、「未来からの買いもの」で、のび太が相変わらず自轉車に乗れなかったようで、アニメと違って練習の成果は見られなかったようだ。
日テレ版最終回「さようならドラえもんの巻」のもとになった72年「ドラえもんがいなくなっちゃう!?」のあと、73年「未来からの買いもの」でのび太は「今もってる自転車はきらいだ!乗れないから」と言っているので原作では相変わらず乗れないままだったようだ。
2015年4月2日14:58
2015年4月2日14:58
1973年『小四』3月号でのび太が1年ぶりにドラえもんと再会。
柳田理科雄氏は1961年生まれなので1960年度または1961年度生まれに相当し、『ドラえもん』を読む環境としては惠まれていたはずだが、『科学読本9』の巻末などを観る限り、柳田氏が70年代に学年誌で熱心に読んだのは『ウルトラマン』関連の作品や記事だったようで、『科学読本』で『ドラえもん』に関する記述は少なく、彼と同世代の人が少年期に熱中したはずの『オバQ』や『パーマン』についても触れていないようだ。
なお、1962年3月生まれの松田聖子もこの学年であり、こちらは小さいころに『ドラえもん』を観ていたと言っている。
柳田理科雄氏は1961年生まれなので1960年度または1961年度生まれに相当し、『ドラえもん』を読む環境としては惠まれていたはずだが、『科学読本9』の巻末などを観る限り、柳田氏が70年代に学年誌で熱心に読んだのは『ウルトラマン』関連の作品や記事だったようで、『科学読本』で『ドラえもん』に関する記述は少なく、彼と同世代の人が少年期に熱中したはずの『オバQ』や『パーマン』についても触れていないようだ。
なお、1962年3月生まれの松田聖子もこの学年であり、こちらは小さいころに『ドラえもん』を観ていたと言っている。
○1962年度生まれ(1962年4/2~1963年4/1生まれ)
1970年『小一』1月号「ドラえもん登場!」
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1975年『小六』3月号「ツチノコ見つけた!」
1970年『小一』1月号「ドラえもん登場!」
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1975年『小六』3月号「ツチノコ見つけた!」
原作第1話、第2話の時代設定が1970年正月で、そのとき、のび太が小学生という設定が成立するのはこの学年が最後である。
○1963年度生まれ(1963年4/2~1964年4/1生まれ)
1970年『小一』4月号
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1976年『小六』3月号「シャラガム」
1970年『小一』4月号
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1976年『小六』3月号「シャラガム」
若田光一氏はこの学年。アニメでは2009年春(推定)、宇宙で作業中にのび太たちの乗る天の川鉄道を目撃。
○1964年度生まれ(1964年4/2~1965年4/1)
1971年『小一』4月号
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1974年『小三』3月号「さようなら、ドラえもん」
1974年『小四』4月号「帰ってきたドラえもん」
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1977年『小六』3月号「りっぱなパパになるぞ!」
1971年『小一』4月号
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1974年『小三』3月号「さようなら、ドラえもん」
1974年『小四』4月号「帰ってきたドラえもん」
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1977年『小六』3月号「りっぱなパパになるぞ!」
温水洋一(ぬくみずよういち)がこの学年。『人魚大海戦』のパンフレットで「帰ってきたドラえもん」を読んだと語っている。
○1965年生まれ(1965年4/2~1966年4/1生まれ)
1972年『小一』4月号
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1978年『小六』3月号「あの日あの時あのダルマ」
1972年『小一』4月号
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1978年『小六』3月号「あの日あの時あのダルマ」
さらに「45年後…」も初出は1985年『小六』9月号で初めは学期末掲載ではなかったものの、その後、『小六』1989年3月号、1991年3月号にも採録されている。
次に「さようなら、ドラえもん」が描かれていた1974年3月号ではどうなっていたか、ネットの情報も含めて調べてみた。
74年『小六』3月号「ユメコーダー」(1961年度生まれ)
74年『小五』3月号「ママをとりかえっこ」(1962年度生まれ)
74年『小四』3月号「ピーヒョロロープ」(1963年度生まれ)
74年『小三』3月号「さようなら、ドラえもん」(1964年度生まれ)
74年『小二』3月号「人間磁石」 (1965年度生まれ)
74年『小一』3月号「ピーヒョロロープ」てんコミ7(1966年度生まれ)
74年『小五』3月号「ママをとりかえっこ」(1962年度生まれ)
74年『小四』3月号「ピーヒョロロープ」(1963年度生まれ)
74年『小三』3月号「さようなら、ドラえもん」(1964年度生まれ)
74年『小二』3月号「人間磁石」 (1965年度生まれ)
74年『小一』3月号「ピーヒョロロープ」てんコミ7(1966年度生まれ)
今思うと「さようなら、ドラえもん」を全学年同時掲載にしてもよさそうなものだが、そうしなかったのが終了決定が急だったからか。「ユメコーダー」は小学校卒業を目前にしたのび太が静香の理想の男が誰か気にする話で、ドラえもんがのび太にその理想の男になるよう努力しろとアドバイスする話であった。