『空想科学読本』の場合、読者の質問に応じる企画では新しい作品を取り上げているが、自分で題材を選んでいる場合はウルトラシリーズ、仮面ライダーシリーズ、ゴジラ、ガメラなど怪獣シリーズ、『宇宙戦艦ヤマト』に関する内容が多い。ウルトラシリーズや怪獣ものについては怪獣図鑑などの記述を引っ張り出して一々検証しているが、ここまで来ると必要性があるのか疑問である。
また、『巨人の星』など梶原作品についての言及は多いが、水島作品については『ドカベン』について2回、『[漫画]読本』での岩鬼の打球、『科学読本9』での岩鬼の葉っぱくらいである。
藤子作品の『ドラえもん』についてはタケコプター、どこでもドア、ドラえもんの体型についての検証があるが、ウルトラシリーズなどと比べると格段に少ない。柳田氏が幼少のころ、ウルトラシリーズや『巨人の星』にはまったことは著書から読みとれるが、『ドラえもん』や『ドカベン』についてはそのような記述がなく、『科学読本』執筆のために『ドカベン』文庫を読んだという具合である。
ただ、ウルトラシリーズについては柳田氏が一部、記憶に頼って書いたせいか、特に欄外注釋で細かい事実認識が観られるのに対し、本人が改めて文庫で確認した『ドカベン』については内容の記述が割と正確という皮肉な現象がみられる
藤子作品の『ドラえもん』についてはタケコプター、どこでもドア、ドラえもんの体型についての検証があるが、ウルトラシリーズなどと比べると格段に少ない。柳田氏が幼少のころ、ウルトラシリーズや『巨人の星』にはまったことは著書から読みとれるが、『ドラえもん』や『ドカベン』についてはそのような記述がなく、『科学読本』執筆のために『ドカベン』文庫を読んだという具合である。
ただ、ウルトラシリーズについては柳田氏が一部、記憶に頼って書いたせいか、特に欄外注釋で細かい事実認識が観られるのに対し、本人が改めて文庫で確認した『ドカベン』については内容の記述が割と正確という皮肉な現象がみられる
『空想歴史読本』の場合、1960年代、70年代前後の空想歴史に関しては怪獣、怪人の出る特撮に集中しており、スポーツ関係は水島作品はおろか梶原作品にも言及しておらず、『ドラえもん』については2112年ドラえもん誕生について基本的な設定を書いているだけで、大長編でドラえもんたちが古生代や中生代、石器時代、中国唐代などに行った大冒険についてはまるで触れられていない。
明らかに世代的な興味の偏りが見られる。
明らかに世代的な興味の偏りが見られる。
なお、石橋貴明は1961年生まれで『巨人の星』について熟知しているが、『ドカベン』もよく読んだようで、『ドカベン』文庫巻末にコメントを寄せている。
太田光(爆笑問題)は1965年生まれで昭和40年代生まれに入り、『ドカベン』をよくネタにしていたが、『巨人の星』のファンでもあったようで、2006年の『新約』についてテレビで怒っていたようだ。
太田光(爆笑問題)は1965年生まれで昭和40年代生まれに入り、『ドカベン』をよくネタにしていたが、『巨人の星』のファンでもあったようで、2006年の『新約』についてテレビで怒っていたようだ。
『ドラえもん』てんコミ第1巻第1話で1960年8月生まれだったのび太は、1979年に大学を受験する予定だった。柳田理科雄氏は1961年生まれなので学齢では1960年度か1961年度生まれ。1979年か1980年から大学生だったことになる。
柳田理科雄氏が小学館学年雑誌をよく読みながら『ドラえもん』に関心がなかったのは個人的興味のせいもあるだろうが、『ドラえもん』が1970年代初めにはまだ知名度が低く、1977年『コロコロコミック』創刊、1979年にテレ朝でアニメの2作目が始まって以降だからということもあるだろう。
「初代」のび太は日テレ版放送のときにすでに中学生、『コロコロ』創刊のときは高校生、テレ朝でアニメがリメイクされたときは大学生だったわけだ。
柳田理科雄氏が小学館学年雑誌をよく読みながら『ドラえもん』に関心がなかったのは個人的興味のせいもあるだろうが、『ドラえもん』が1970年代初めにはまだ知名度が低く、1977年『コロコロコミック』創刊、1979年にテレ朝でアニメの2作目が始まって以降だからということもあるだろう。
「初代」のび太は日テレ版放送のときにすでに中学生、『コロコロ』創刊のときは高校生、テレ朝でアニメがリメイクされたときは大学生だったわけだ。
それにしても柳田理科雄氏が『オバケのQ太郎』や『パーマン』を扱っていないところを観ると、やはり彼が藤子作品全体に関心が薄いのであろう。オバQはどういう生物なのか、パーマンが飛ぶ原理は何か、コピーロボットはどういう構造か、科学的に研究材料は多いはずだが柳田氏は扱っていない。
1961年生まれの柳田氏は『パーマン』の原作が出たときは小学校入学直後、当時すでに『オバQ』が存在し、『新オバQ』のとき小学校生活も半ばを迎えていた。同世代の間で話題になっていたはずである。
1961年生まれの柳田氏は『パーマン』の原作が出たときは小学校入学直後、当時すでに『オバQ』が存在し、『新オバQ』のとき小学校生活も半ばを迎えていた。同世代の間で話題になっていたはずである。