『水戸黄門』における弥七、八兵衛、お銀、お娟等の変遷

第4部では光圀の江戸訪問が2年ぶりらしく、越後騒動の14年後なので1692年または1693年から1695年までになる。
第28部では吉宗が紀州で「新之助」を名乗っていた時期らしいので、元服後とすれば1696年以降である。
ただし、井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では吉宗が新之助を名乗ったのは1694年以降。
第29部は光圀の藩主時代から始まり、光圀が芭蕉と会っており、最終話で紋太夫事件がまた描かれた。紋太夫事件のときには芭蕉はすでにこの世を去っていたはずである。

第29部第1話は1684年から1690年まで6年間を含み、同5話で1694年没の芭蕉が登場、第29部最終回で1694年(陽暦で翌年)の紋太夫事件が描かれている。つまり1684年から1694年までの10年間が第29部で描かれたわけだ。第5話に登場した芭蕉は最終回のときはすでに故人であった。
第30部は第29部最終回の続編と思われるので1695年と判断した。

里見版はくノ一のお供としてお銀でなくお娟がいることから、石坂版を継承しているはずである。すると佐野浅夫版までの世界とはつながりはなく、新たに光圀が1690年に隠居した時期からの10年間を描いているわけだ。
その場合、単純に劇中の展開を追うと、石坂~里見版では光圀が隠居したあとにお娟とそのの配下のくノ一軍団・せん・みつ・ひでがサポート(第29~30部)。その後、鬼若とアキが参加(第31部)。何度目かの東北の旅で鬼若が行方不明になって(第37部)、入れ替わりに青森で弥七が合流したことになる。
また、町人の同行者は当初はいなかったが、途中でよろず屋の千太が加わり(第33部)、次におけらの新助が参加(第36部)。そのあと光圀が江戸でうっかり八兵衛と再会し(第40部)、ちゃっかり八兵衛がお供になったことになる。

そうなると石坂版以降では弥七も八兵衛も途中からいきなり参加したことになる。

弥七の場合、第29部の光圀隠居から第37部前半まで登場しておらず、その間、光圀とどういう関係だったのかは描かれていない。光圀と弥七の関係は東野英治郎版の第1部で描かれたはずだが、第29部以降はそれとは関係ない世界のはずである。
また、ちゃっかり八兵衛は第40部から初登場したのでそれ以前に登場しなかったのは当然だが、うっかり八兵衛は第29部以降は第32部の直後の1000回記念スペシャルに登場しただけのようで、第29部以降の光圀と一緒の旅はほとんど描かれていないことになる。

お銀が飛猿や光圀と敵対しながら仲間になっていたプロセスは西村晃主演のときに描かれているが、お娟がお銀と別人であれば、お娟が弥七や八兵衛とどういう知り合いなのか、それがよくわからない。

東野英治郎、里見浩太朗、横内正の時期、弥七とお新も参加した話で、光圀一行が水戸郊外まで戻ったとき、水戸から霞ケ浦までの運河を作る工事の話があり、光圀の旅が数箇月であった。幡谷勘十郎を夏八木勲が演じた1975年11月3日放送、第6部第32話「素晴らしきかな人生 水戸」であろう。

夏八木勲は第5部最終回にも出たようで、TBSの第5部のHPで舞台は五島、前は長崎なので九州の話とわかるが、2010年9月27日にネット上で見た限りでは第6部のHPも最終回の舞台は五島。その前は潮来(いたこ)である。茨城県にも「五島」があったのか?

第6部の放送期間は1975年3月31日~11月3日のおよそ7箇月。数箇月の放送で数箇月の旅を描いたか。『大岡越前』『江戸を斬る』などの他のナショナル劇場の番組の放送時期を省くと『水戸黄門』第42部で1200回、1年は52週間だから1200週(1週から1199週)は23年強。光圀隠居の10年間を2回描いたとしてまだ少し余る。

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