「八」は八兵衛、「銀」はお銀、「娟」はお娟。せん、みつ、ひではお娟配下のくノ一軍団である。
第29部では光圀隠居から藤井紋太夫事件まで描かれているので、光圀隠居後だけでも1690年から1694年末までの4年間がせん・みつ・ひでの活動期間であり、第14部、第40部の舞台がその中に入るし、第4部の舞台もほぼその中に入る。
紋太夫は元禄7年(1694年)11月23日、陽暦で1695年1月8日に没した。
第29部では光圀隠居から藤井紋太夫事件まで描かれているので、光圀隠居後だけでも1690年から1694年末までの4年間がせん・みつ・ひでの活動期間であり、第14部、第40部の舞台がその中に入るし、第4部の舞台もほぼその中に入る。
紋太夫は元禄7年(1694年)11月23日、陽暦で1695年1月8日に没した。
第1部から第28部までの「八」はうっかり八兵衛、第30部でうっかり八兵衛が光圀と再会し、ちゃっかり八兵衛が光圀のお供になった。
__ 東野英治郎版 西村晃版~佐野浅夫版 石坂浩二版~里見浩太朗版
1690 01弥七___ 14弥七+八_____ 29娟+せん+みつ+ひで_
↓_ 02弥七+八_ 15弥七+八_____ 30娟+せん+みつ+ひで_
↓_ 03弥七+八_ 16弥七+八+銀___ 31娟+鬼若+アキ※※※_
↓_ 04弥七+八_ 17弥七+八+銀+飛猿 32娟+鬼若+アキ____
↓_ 05弥七+八_ 18弥七+八+銀+飛猿 33娟+鬼若+アキ+千太_
↓_ 06弥七+八_ 19弥七+八+銀+飛猿 34娟+鬼若+アキ+千太_
↓_ 07弥七+八_ 20弥七+八+銀+飛猿 35娟+鬼若+アキ+千太_
↓_ 08弥七+八_ 21弥七+八+銀+飛猿 36娟+鬼若+アキ+新助_
↓_ ※_____ ※※________ 37娟+鬼若+アキ+新助_ ┬9作目
↓_ 09弥七+八_ 22弥七+八+銀+飛猿 └→娟+弥七+アキ+新助 ┘
↓_ 10弥七+八_ 23弥七+八+銀+飛猿 38娟+弥七+新助____
↓_ 11弥七+八_ 24弥七+八+銀+飛猿 39娟+弥七+新助____
↓_ 12弥七+八_ 25弥七+八+銀+飛猿 40娟+弥七+八_____
↓_ 13弥七+八_ 26弥七+八+銀+飛猿 41娟+弥七+八_____
↓_ ______ 27弥七+八+銀+飛猿 42楓+弥七+八_____
1700 ______ 28___八+銀+飛猿 43楓+弥七+八_____
1690 01弥七___ 14弥七+八_____ 29娟+せん+みつ+ひで_
↓_ 02弥七+八_ 15弥七+八_____ 30娟+せん+みつ+ひで_
↓_ 03弥七+八_ 16弥七+八+銀___ 31娟+鬼若+アキ※※※_
↓_ 04弥七+八_ 17弥七+八+銀+飛猿 32娟+鬼若+アキ____
↓_ 05弥七+八_ 18弥七+八+銀+飛猿 33娟+鬼若+アキ+千太_
↓_ 06弥七+八_ 19弥七+八+銀+飛猿 34娟+鬼若+アキ+千太_
↓_ 07弥七+八_ 20弥七+八+銀+飛猿 35娟+鬼若+アキ+千太_
↓_ 08弥七+八_ 21弥七+八+銀+飛猿 36娟+鬼若+アキ+新助_
↓_ ※_____ ※※________ 37娟+鬼若+アキ+新助_ ┬9作目
↓_ 09弥七+八_ 22弥七+八+銀+飛猿 └→娟+弥七+アキ+新助 ┘
↓_ 10弥七+八_ 23弥七+八+銀+飛猿 38娟+弥七+新助____
↓_ 11弥七+八_ 24弥七+八+銀+飛猿 39娟+弥七+新助____
↓_ 12弥七+八_ 25弥七+八+銀+飛猿 40娟+弥七+八_____
↓_ 13弥七+八_ 26弥七+八+銀+飛猿 41娟+弥七+八_____
↓_ ______ 27弥七+八+銀+飛猿 42楓+弥七+八_____
1700 ______ 28___八+銀+飛猿 43楓+弥七+八_____
※→第8部で横内正が格之進役を降板し第9部から大和田伸也に交代(東野英治郎版)。
なお、助三郎役は第17部まで里見浩太朗、第18部からあおい輝彦(西村~佐野版)。
※※→西村晃が第21部で降板し、第22部から光圀役が佐野浅夫に交代(西村~佐野版)。
※※※→第31部で光圀役が石坂浩二から里見浩太朗に交代(石坂~里見版)。
西村~佐野版のお銀登場の時期と石坂~里見版の鬼若&アキ登場の時期が3作目で一致している点が興味深い。よろず屋の千太の登場は里見版開始から数えて3作目であり、東野版の初代八兵衛が2作目から登場したのとほぼ一致する。
なお、助三郎役は第17部まで里見浩太朗、第18部からあおい輝彦(西村~佐野版)。
※※→西村晃が第21部で降板し、第22部から光圀役が佐野浅夫に交代(西村~佐野版)。
※※※→第31部で光圀役が石坂浩二から里見浩太朗に交代(石坂~里見版)。
西村~佐野版のお銀登場の時期と石坂~里見版の鬼若&アキ登場の時期が3作目で一致している点が興味深い。よろず屋の千太の登場は里見版開始から数えて3作目であり、東野版の初代八兵衛が2作目から登場したのとほぼ一致する。
なお、具体的な時代設定(下注釋)ではこうなる。
__ 東野英治郎版 西村晃版~佐野浅夫版 石坂浩二版~里見浩太朗版
1690 03弥七+八_ __________ 29娟+くノ一軍団______
1691 ↓_____ __________ 42楓+弥七+八_____
1692 04弥七+八_ 14弥七+八_____ ↓___________
1693 04弥七+八_ 14弥七+八_____ 40娟+弥七+八_____
1694 01弥七___ 28___八+銀+飛猿 40娟+弥七+八_____
__ ______ (吉宗が「新之助」を名乗った時期)
__ 04弥七+八_ ↓_________ 29娟+くノ一軍団______
1695 04弥七+八_ ↓_________ 30娟__________
1696 ↓_____ 28___八+銀+飛猿 ____________
1697 ______ ↓_________ 38娟+弥七+新助____
1698 ______ __________ 37娟+鬼若+アキ+新助_
__ ______ __________ └→娟+弥七+アキ+新助
1699 ______ __________ ____________
1700 ______ __________ ____________
1690 03弥七+八_ __________ 29娟+くノ一軍団______
1691 ↓_____ __________ 42楓+弥七+八_____
1692 04弥七+八_ 14弥七+八_____ ↓___________
1693 04弥七+八_ 14弥七+八_____ 40娟+弥七+八_____
1694 01弥七___ 28___八+銀+飛猿 40娟+弥七+八_____
__ ______ (吉宗が「新之助」を名乗った時期)
__ 04弥七+八_ ↓_________ 29娟+くノ一軍団______
1695 04弥七+八_ ↓_________ 30娟__________
1696 ↓_____ 28___八+銀+飛猿 ____________
1697 ______ ↓_________ 38娟+弥七+新助____
1698 ______ __________ 37娟+鬼若+アキ+新助_
__ ______ __________ └→娟+弥七+アキ+新助
1699 ______ __________ ____________
1700 ______ __________ ____________
第1部はいきなり藤井紋太夫の事件が描かれ、1694年没、しかも陽暦では翌年になる。1690年の光圀隠居から描かれているのかどうかわからない。
Y!Japan 水戸黄門 第1部 第1話 紋太夫 弥七
└→補足
Y!Japan 水戸黄門 第1部 第1話 紋太夫 弥七
└→補足
関連語句
八兵衛 弥七
『水戸黄門』第 [1] [2] 弥七 八兵衛 お銀 お娟 水戸黄門 第42部 助三郎
お銀、お娟(詳細)
具体的な時代設定
第1部ではいきなり藤井紋太夫が手討ちにされているので1694年末。
第3部では弥七の墓参りの場面で時代が元禄3年、1690年に戻っていることがわかる。
第4部第1話では八兵衛が江戸に来たのが2年ぶりで、越後騒動から14年後。
第14部では第27話で勝山(福井県)の藩主が変わって2年後、藩主が前年にお国入り。
第28部は吉宗が「新之助」を名乗り始めた時期から推定した。井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では吉宗が新之助を名乗ったのは1694年以降。これなら第40部第1話で初代八兵衛が「引退」して2代目八兵衛にバトンタッチしたのが1694年とすれば、第28部で光圀が1694年に新之助と会ったときに初代八兵衛がいたと推定しても辻褄が合う。第40部では1694年に没した松尾芭蕉が登場するので、1695年以降ということはありえない。一方、第28部の「紀州の若様」は「新之助頼方」であり、この名前は1696年以降らしい。
第29部では1690年に光圀が隠居した過程が描かれている。
第37部は最終話で吉孚14歳の設定から推定1698年。
第38部は敦賀で公家がひろげた勅命から1697年とわかる。
第40部では松尾芭蕉が存命なので1694年以前。
第42部は松平頼豊が12歳ということから推定可能。
参照
『水戸黄門』で松尾芭蕉が出た話II
『水戸黄門』放送40年で光圀隠居10年を4回描いたと假定した場合
『水戸黄門』における光圀、助三郎、格之進の同行者(時代設定が明確なもの)
『水戸黄門』第42部制作發表
『水戸黄門』放送期間42年と光圀隠居10年(4分割、3分割、2分割)
一般時代劇vs必殺シリーズ(2010年9月1日~14日)
一般時代劇vs必殺シリーズ(2010年9月15日~)
八兵衛 弥七
『水戸黄門』第 [1] [2] 弥七 八兵衛 お銀 お娟 水戸黄門 第42部 助三郎
お銀、お娟(詳細)
具体的な時代設定
第1部ではいきなり藤井紋太夫が手討ちにされているので1694年末。
第3部では弥七の墓参りの場面で時代が元禄3年、1690年に戻っていることがわかる。
第4部第1話では八兵衛が江戸に来たのが2年ぶりで、越後騒動から14年後。
第14部では第27話で勝山(福井県)の藩主が変わって2年後、藩主が前年にお国入り。
第28部は吉宗が「新之助」を名乗り始めた時期から推定した。井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では吉宗が新之助を名乗ったのは1694年以降。これなら第40部第1話で初代八兵衛が「引退」して2代目八兵衛にバトンタッチしたのが1694年とすれば、第28部で光圀が1694年に新之助と会ったときに初代八兵衛がいたと推定しても辻褄が合う。第40部では1694年に没した松尾芭蕉が登場するので、1695年以降ということはありえない。一方、第28部の「紀州の若様」は「新之助頼方」であり、この名前は1696年以降らしい。
第29部では1690年に光圀が隠居した過程が描かれている。
第37部は最終話で吉孚14歳の設定から推定1698年。
第38部は敦賀で公家がひろげた勅命から1697年とわかる。
第40部では松尾芭蕉が存命なので1694年以前。
第42部は松平頼豊が12歳ということから推定可能。
参照
『水戸黄門』で松尾芭蕉が出た話II
『水戸黄門』放送40年で光圀隠居10年を4回描いたと假定した場合
『水戸黄門』における光圀、助三郎、格之進の同行者(時代設定が明確なもの)
『水戸黄門』第42部制作發表
『水戸黄門』放送期間42年と光圀隠居10年(4分割、3分割、2分割)
一般時代劇vs必殺シリーズ(2010年9月1日~14日)
一般時代劇vs必殺シリーズ(2010年9月15日~)