「ママのダイヤを盗み出せ」の原作ではのび太のママが子供のころ、昭和23年(1948年)に「黄金バット」の紙芝居を観た設定だったが、2007年のアニメではのび太のママが7歳のころが昭和50年代後半、1980年代初めで松田聖子のサイン会があったときに変更されていた。

松田聖子が20歳のころ、のび太のママが7歳だったわけだ。

玉子は「恐竜の足あと発見」で38歳。
7歳だと38歳の時点から31年前である。

2007年当時から31年前だと1976年。また、夫・のび助は36歳のときもあるので、玉子が2007年で36歳の場合で考えると7歳だったのは西暦1978年。山口百恵(下注釋)、ピンクレディー、キャンディーズが人気だったものの松田聖子はデビュー前。
逆に1982年で7歳だと2007年で32歳。36歳になるのは2011年で、38歳になるのは2013年である。

アニメの玉子は30代前半の設定になる。

おそらく2007年当時のアニメ『ドラえもん』のスタッフは玉子の7歳の時代を昭和50年代(1975年から1984年まで)に設定したものの、本人役で声を当ててもらえる人として松田聖子以外にいなかったのだろう。
キャンディーズは1978年の解散後30年が経過し、声を当ててもらうににも3人全員来てもらうのが大変である。

1980年代のアイドルだった伊藤つかさをモデルにした伊藤つばさは2007年7月13日放送の「人気スターがまっ黒け」に出ており、のび太と同時代に設定が変更されている。
計算の便宜上、伊藤つばさが2007年で17歳と假定すると1990年生まれで浅田真央と同世代になる。1980年代の作品に登場した伊藤つばさが1982年で12歳だったとすると1970年生まれ、17歳だったとすると1965年生まれ。
なお伊藤つかさ本人は1967年2月生まれなので、1966年8月生まれののび太(1959年度生まれから数えて8人目)と同学年である。

ところで2010年9月17日放送の「ほんもの3Dテレビ」では架空のテレビ番組『MUSIC STAGE』で福山雅秋という歌手が登場。明らかに2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』に出ている福山雅治のパロディーだが、「伊藤つばさ」や「西条ひろみ」のように名前を一部変えて、架空のキャラクターにしている。声も本人ではなかった。
福山雅治が本人役で声を当てるというのは、多忙か何かの理由で無理だったのか。
あるいは『ドラえもん』に有名人が本人役で出るという企画は2009年春の「天の川鉄道」での若田宇宙飛行士で一段落したということだろうか。

この種の規格は大山ドラえもん末期、2003年に渡辺美里が「出演」したあたりから始まっていると思われる。
2003年の前年、2002年は1977年当時の原作「りっぱなパパになるぞ!」でのび太が大人で息子・ノビスケ(祖父の名を継承した「のび助2世」か)が10歳くらいの少年だった時代。ノビスケの日記の表紙に「2002」と書かれてある(下注釋)。渡辺美里は1966年生まれなので1977年当時で11歳。
アニメののび太が小学5年、夏以降で11歳とすると2003年のアニメののび太は2002年夏で20歳だったことになる。
つまり2002年、2003年ごろのアニメの時点でのび太がすでに初期の原作におけるのび太の息子と同世代になっているのである。渡辺美里は1977年に『コロコロコミック』が出た当時、のび太、あるいは源静香と同じくらいの小学生だったわけだ。

翌年の2004年、『のび太のワンニャン時空伝』でのび太がイチに「いっしょに21世紀に帰ろう!!」(フィルムコミックでの台詞)と言っており、ここでのび太の少年時代が21世紀と確定されたが、それはすでに2003年の渡辺美里「出演」で決まっていたようである。
2007年11月2日には「21世紀のおとのさま」が放送され、原作の「20世紀」が「21世紀」になっていた。

補足
玉子が2007年で36歳だと1971年生まれ、38歳だと1969年生まれである。後者の1969年生まれの場合、7歳になったのは1976年で、蒲池法子さんはまだ14歳の中学生でデビュー前。しかしながら、この70年代半ばは初期の原作『ドラえもん』が学年誌に連載されており、当時の人気スターをモデルにした歌手が劇中に登場しているはずだ。

例えば「ジーンと感動する話」の原作が1975年『小四』6月号掲載で、西城秀樹と郷ひろみを合わせたような「西条ひろみ」が登場している。「ジーンと感動~」は「ママのダイヤ~」の前年、2006年にアニメ化されており、劇中の「西条ひろみのロケ」は「速水もこみちと相武紗季のドラマ『レガッタ』のロケ」に置き換えられているが、この「西条ひろみ」をのび太の少年時代から玉子の少女時代のスターに置き換えてもよかったはずである。つまり2007年版の「ママのダイヤ~」でも玉子が7歳のときに「西条ひろみのロケ」があったという設定にしてもよかった話である。

玉子が2007年で36歳(1971年生まれ)だと松田聖子がデビューした1980年で9歳、「赤いスイートピー」が出た82年で12歳。
玉子が2007年で38歳(1969年生まれ)だと松田聖子がデビューした1980年で11歳、「赤いスイートピー」が出た82年で13歳である。便宜上、2007年で37歳とすると1970年生まれで、1980年で10歳、1982年で12歳だったわけだ。

原作の少女時代の玉子は生まれた年の違いを無視すると、息子・のび太よりやや年下の女の子のように描かれているので、「現在」のアニメののび太と同い年(11歳)かそれより上(13歳)とは考えにくい。特に小学校高学年や中学生の女の子が成長が速いので、11歳以上で「お嫁さんごっこ」もないだろう。
すると少女時代の玉子はアニメの設定どおり、7歳くらいと考えるのが妥当だ。松田聖子の「赤いスイートピー」が出た1982年で7歳とすれば1975年生まれ。1982年のサイン会当時で8歳の誕生日の前だったとすれば1974年生まれである。

ちなみに『レガッタ』はもともと原秀則の漫画作品を実写化したもののようで、それがアニメ『ドラえもん』で出演俳優をモデルにした藤子・F・不二雄風の作画でアニメ化されたというややこしい展開となった。『レガッタ』の原作漫画も小学館から出ている。

前後一覧
2010年9月 9/22

関連語句
聖子 松田聖子 のび太 ジーンと感動する話 1975


注釋
山口百恵
『ドラえもん』では「ももぐちやまえ」が名前だけ登場した。

日記の表紙に「2002」
アニメではこれは省かれており、西暦何年かははっきりしないようになっている。


参照
2007年度アニメ『ドラえもん』サブタイトルリスト(のび太は1996年生まれ)
藤子作品関連(2010年9月~)