番組のホームページ(www.tv-tokyo.co.jp/sanzo/)で三蔵法師の旅を1400年前と言っているが、2010年から1400年前は西暦610年で、当時は隋の時代で、玄奘は旅を始めてはいなかった。玄奘は602年生まれなので610年当時はすでに数え年9歳(満8歳)。618年に隋が唐になった。
玄奘の旅のスタートは627年または629年、長安にもどったのは645年まで。
西暦630年とすると、西暦2010年から1380年前である。
Google 三蔵法師 テレビ東京

710年の奈良遷都から1300年後が西暦2010年である。
2010年から1300年前が西暦710年、それから100年前の西暦610年は西暦2010年から1400年前だ。

この番組はテレビ東京編、日経ビジネス人文庫『封印された三蔵法師の謎』(2010年9月6日、日本経済新聞出版社)という本と連動した企画のようだ。
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アスターナ古墳から發掘された高昌国の将軍・張雄のミイラも番組で紹介された。633年没らしい。
中国人ガイドの説明でミイラには髪の毛も残っており白髪。さらに日本語譯が字幕に出ていない部分の説明を聴くと、没したときは50歳だったようだ。583年または584年生まれか(玄奘は602年生まれ)。
ミイラが履いていた紙製の靴に三蔵法師に関する記述があったらしい。
三蔵法師は高昌国王から多額の資金を得ていたようだ。

番組で現場を歩いたのは役所広司、ナレーションは松坂慶子だが、スタジオでの案内役は草彅剛。
これで2006年のフジテレビ『西遊記』に出演した香取慎吾、木村拓哉と合わせて、SMAPの5人のうち、3人が『西遊記』または三蔵法師に関する番組に出たことになる。
天山山脈を越えるのは過酷な旅で、三蔵は4人の弟子を失ったらしい。
天山山脈の向こう側では西突厥という国が強大な力を誇っており、三蔵はそこで旅の資金を用立てるつもりだったようだ。

三蔵はイシク・クル湖(伊塞克湖、Issyk Kul)を北に迂回したらしい。
三蔵は敢えて苦しい道を選んだようだ。この哲学は『西遊記』に生かされている。

三蔵法師の遺骨は中国の大慈恩寺と日本の薬師寺・玄奘三蔵院にある。

キルギスの人が茶のことを「チャイ」と言っていた。
以前、TBSの『私的チャイナビ』でも中国のカザフ族の人がチャイを飲むというレポートがあった。

インドでは佛教に代わってヒンドゥー教が国教となり、番組では佛教の平等思想がヒンドゥーのカースト(階級)制度と対照されていた。
もっとも『西遊記』を観ると釋迦と菩薩など、明らかに序列があるし、悟空が「俺には実力があるから天帝になっていいはず」と言ったのに対し、インドの王子であった釋迦は「すべての森羅万象には与えられた場所というものがある」と反論。つまり人間の中の平等は人間と他を差別することで始まっている。
宗教における「平等」はその宗教の信者に与えられたもので、異教徒や無神論者への差別と表裏一体となっているのだろう。
そうなると本木雅弘と宮沢りえ(「伊右衛門」コンビ)が出演した『西遊記』の主題歌でB'zが歌った「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」の歌詞は宗教や神を否定しているようであり、『西遊記』の歌としては逆説的である。

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2010年9/20