東野英治郎の2役で、丹後屋光衛門という名前。
光右衛門でなく光衛門だった。右衛門の「右」を發音しないなら、「光衛門」がまともであろう(下注釋)。

光衛門にとっては自分の名前を勝手に使っている光圀こそニセモノだろう。何しろ服まで同じである。
徳川家の人間が偽名を使って旅をするというこのドラマの前提が問題である。

水戸光圀は「おおたの織物問屋の隠居・さんえもん」を名乗っていた。

光圀は長岡藩主を牧野殿と呼んでおり、おそらく牧野駿河守忠辰であろう。
藩主は光圀の顔をよく観て、さきの中納言・水戸光圀公だとわかったが、城下に光圀とそっくりな老人がいることを知って驚いただろう。

光衛門は高利貸しの悪党とされ「鬼の光衛門」と言われていたが、証文に書いてあるとおりに取り立てて、それで約束どおりに相手の店をもらっているのであれば、これは合法であろう。
冒頭では、光衛門が訪れたある店で、光衛門が1年前に25両貸して、1年で利子がついて合計50両になったらしいが、光衛門によるとそれも証文に書いてあったことらしい。
すると借りる側にも責任がある。

ラストシーンで光衛門が借金を棒引きにして、店も相手に返却して感謝されたようだが、それなら貧乏人にはただで金を配ればよかったことになる。
これを政府が合法的にするとバラマキになる。

ドラマの光圀は結局、越後に自分とそっくりの光衛門がいながら、その光衛門になりすまして旅をしていることになる。本物の光衛門は越後にいるわけだから、調べれば光圀の手形に虚偽が記載されていることがわかるはずだ。
あるいは光圀は「右」のある「光右衛門」を名乗っているのかも知れないが、それでも手形に嘘の名前があることには変わりはない。しかも、よく似た別人の名(またはそれに近い名)を使っているのだから始末が悪い。
光圀はその後、越後を何度も訪れているが、どういうわけか、光衛門と再会したような形跡はない。

そもそも偽名を名乗って身分を偽っている以上、その旅は嘘から始まっており、勧善懲悪と言えるかどうか。
『暴れん坊将軍』第8部で吉宗の許嫁だった鶴姫は架空のキャラクターだが、初め、徳田新之助が吉宗とは知らず、その新之助に惚れてしまい(下注釋)、吉宗との縁談を断ろうとするまでになってしまった。江戸城で鶴姫が吉宗と会い、吉宗が新之助だと知ったとき、鶴姫は喜ぶどころか怒って「上様は人の心をもて遊んだ」として改めて縁談を断ってしまった。結局、吉宗が説得したが、第9部以降、鶴姫は登場せず、破談になった可能性がある。
第9部第16話で吉宗は大奥の美女を50名解雇している。
将軍家が世直しのためとはいえ、嘘の名、嘘の肩書を名乗るのは、やはり道徳的にはよろしくないということである。

ちなみに第8部第10話で綱條は「常陸の木綿(もめん)問屋の隠居」と名乗っている。

前後一覧
2010年9月 9/18

関連語句
『水戸黄門』第4 第4部 4部


注釋
「右衛門」の「右」が發音されないことについて
「衛門」は本来、「ゑもん」で、發音は wemon だったので、「うゑもん」uwemon の u が w に同化して、消滅したものと思われる。

鶴姫が徳田新之助に惚れてしまい
大岡忠相ほか、新之助の正体を知る人たちがそう仕向けた可能性もある。第8部で大岡家の中間だった吉兵衛の最期が描かれた話で、鶴姫が「大岡殿やめ組のみなさんと出会えて私は幸せ」と言ったところ、大岡は「徳田殿は入っていないのですか」とたずね、鶴姫は返答できなかった。
『暴れん坊将軍』第8部で綱條が登場したとき、鶴姫は綱條が誰か一目でわかった。吉宗が綱條に「失礼ですが、そちら様は?」と名をたずねたとき、その場にいた鶴姫は徳田新之助の身分を御三家の綱條よりは下と認識していようで、きつい言い方で「徳田殿、こちらのおかたは…」と言いいかけ、綱條は慌てて「常陸の木綿問屋」を名乗ったわけである。
徳田新之助の嘘に最も翻弄されていたのはめ組の面々かも知れない。め組の歴代の頭(かしら)は徳田新之助の正体を知っていたが、ほかの面々は新之助を旗本の三男坊だと信じていた。かろうじて、め組にいた元力士の龍虎が最終的に「新さんはただのお旗本じゃねえな」と思い始めたくらいである。
第8部に登場した水戸綱條は1718年に没しており、第9部最終回で描かれた吉宗と宗春の最終対決は1737年ごろ。大岡忠相が南町奉行だった1717年から1736年までの19年間とほぼ一致する。吉宗は20年近くもめ組のメンバーの大半を騙していたことになる。


参照
『水戸黄門』第4部(再放送)
『水戸黄門』の第4部と第40部の時代設定
『水戸黄門』を2期に分けた場合の流れと同行者
一般時代劇vs必殺シリーズ(2010年9月15日~)