『ドラえもん』の登場人物が携帯電話を持つことに対する賛否・補足と注釋に書いていた内容が長くなったので、またこちらに移動。

松田聖子は1962年3月生まれなので、同年8月生まれののび太より1年上の学年のはずだ。松田聖子(と言うより蒲池法子さん)と同学年ののび太は1961年8月生まれのほうであり、同級生のスネ夫は1962年2月生まれで蒲池紀子さんと誕生日が最も近くなる。蒲池法子さん(のちの松田聖子)と堀越学園で同級生だったらしい岩崎良美は1961年6月15日生まれなので、1961年度生まれのジャイアンと生年月日が一致する。1961年4/2~1962年4/1生まれは1968年4月から小学生で1970年正月で小2の冬休み。1962年4/2~1963年4/1生まれだと1970年で小1の冬休みだったことになる。

1961年生まれの岩崎良美は1980年に歌手デビューしたが、前年の1979年、時代劇『必殺仕事人』にゲストで出演。この年、岩崎良美は18歳、松田聖子は17歳で高校3年だったことになる。岩崎良美は『江戸の鷹』にもゲストで出た。『江戸の鷹』の放送時期は1979年とも言われるが1978年らしい。

なお、てんコミ第1巻第1話「未来の国からはるばると」ののび太は1979年に大学を受験する予定で、8月7日生まれであるから当時ののび太は1960年生まれの設定だったことがわかる。こちらののび太は松田聖子、岩崎良美より1年先輩である。「未来の国からはるばると」の雑誌掲載当時、のび太はさらに1年前の1978年に大学を受ける予定で、さらに1年先輩だった。原作のび太の第1世代は1959年8月7日生まれであった(下注釋)。

2007年のアニメでのび太の母親・玉子が7歳だったときに、松田聖子がデビュー間もないアイドル歌手だった設定になっていたことが「『ドラえもん』の時代設定」における重要なできごとであるのはそういったことによる。松田聖子は1982年で20歳になったが、本来、のび太もほぼ同じ時期に成人に達しているはずであった。
この1982年当時の『ドラえもん』では相変わらず小学生ののび太たちが「竜宮城での八日間」を過ごしてから帰還しているし、スネ夫がもらったサイン色紙には「松木伊代」や「早目優」(明らかに1982年組である松本伊代や早見優がモデル)といった歌手の名前も出てくる。「伊藤つばさ(翼)」のモデルになった伊藤つかさは歌手としては1981年デビューである。松田聖子のサイン会があった1980年代初めにものび太世代が小学生だった話が作られていたわけである。

1980年代初めに少年・少女時代を過ごし、アニメ『ドラえもん』を観ていた世代は、2007年にこの80年代が「のび太のママの子供時代」になったことに少なからず驚いたのではなかろうか。
あるいは自分がのび太のママより年上の設定にされた松田聖子自身が、このゲスト声優の仕事を受けたときに一番驚いたのかも知れない。

ちなみに伊藤つかさは1967年2月生まれ、渡辺美里は1966年7月生まれなので、1歳違いの同学年になる。伊藤翼と渡辺美里がどちらも『ドラえもん』に登場しているのは奇遇である。

伊藤つかさは2月生まれなのでスネ夫と誕生日が近いが、スネ夫が1967年2月生まれの場合、同学年の源静香は1966年5月生まれ、ジャイアンは同年6月、のび太は同年8月7日生まれである。

前後一覧
2010年9月 9/17

関連語句
聖子 松田聖子 のび太 1962 のび太 [1] … [22]


注釋
原作ののび太の第1世代は1959年8月7日生まれ
「プロポーズ作戦」ではのび太の両親・のび助と玉子が1959年11月に婚約、結婚したようなので、これではのび太がすでに3箇月前に生まれていたことになってしまう。しかし「プロポーズ作戦」は1971年の作品でのび太誕生は両親の婚約から2年後の1961年。のび太が1959年生まれである場合から2年だけ時代設定が未来方向にずれていたわけだ。のび太が1959年生まれである場合、両親婚約は1957年だったことになる。
『ドラえもん』の時代設定が時代とともに変化することで、前後に矛盾が生ずる現象は、すでに1970年代初期に原作で出現していた。1970年正月当時、小学生だったのび太が1975年4月を過ぎても小学生であること自体が無理のある話であった。1975年3月『小六』ではジャイアンがツチノコを見つけており、ここでのび太は小学校卒業寸前。このツチノコの話はてんコミでは1976年に起きたことになっている。


参照
『ドラえもん』HP、「ドラえもん世代」
のび太と同い年の「聖子」3名
のび太の生まれた年とドラえもんの生まれる年の設定
藤子作品関連(2010年9月~)