___│東野版│西村版│佐野版│石坂版│里見版
1690年│第03部│___│___┳第29部│___ 光圀隠居(第29部)
1691年│___│___│___┃___│第42部
1692年┳第04部┳第14部│___┃___│___ 勝山藩主交代2年目(第14部?)
1693年┃___┛___│___┃___┳第40部┐前庄内藩主13回忌(第40部?)
1694年┃第01部│___┓___┛___┛___│芭蕉没。藤井紋太夫没(第1部、第29部)
1695年┛___│___┃___│___│___┴越後騒動から14年(第4部)
1696年│___│___┣第28部│___│___ 源六(のちの吉宗)が元服(第28部?)
1697年│___│___┃___│___│第38部 元禄丁丑年(第38部)
1698年│___│___┃___│___│第37部 徳川吉孚14歳。光貞隠居(第37部)
1699年│___│___┃___│___│___
1700年│___│___┛___│___│___
1690年│第03部│___│___┳第29部│___ 光圀隠居(第29部)
1691年│___│___│___┃___│第42部
1692年┳第04部┳第14部│___┃___│___ 勝山藩主交代2年目(第14部?)
1693年┃___┛___│___┃___┳第40部┐前庄内藩主13回忌(第40部?)
1694年┃第01部│___┓___┛___┛___│芭蕉没。藤井紋太夫没(第1部、第29部)
1695年┛___│___┃___│___│___┴越後騒動から14年(第4部)
1696年│___│___┣第28部│___│___ 源六(のちの吉宗)が元服(第28部?)
1697年│___│___┃___│___│第38部 元禄丁丑年(第38部)
1698年│___│___┃___│___│第37部 徳川吉孚14歳。光貞隠居(第37部)
1699年│___│___┃___│___│___
1700年│___│___┛___│___│___
東野版の第4部で光圀は2年ぶりに江戸を訪れたことになっているので、隠居から2年とすると1692年。そして越後騒動から14年後の設定なので1693年から1695年までの時期になる。
西村版~佐野版では格之進が独身になり、助三郎も途中から独身、お銀と飛猿の参加で弥七と忍者3人組成立。石坂~里見版ではお銀に代わってお娟登場、鬼若&アキ→弥七、助三郎結婚。
そこで、次に西村版と佐野版、石坂版と里見版をそれぞれつながった世界と解釋するとこうなる。
西村版~佐野版では格之進が独身になり、助三郎も途中から独身、お銀と飛猿の参加で弥七と忍者3人組成立。石坂~里見版ではお銀に代わってお娟登場、鬼若&アキ→弥七、助三郎結婚。
そこで、次に西村版と佐野版、石坂版と里見版をそれぞれつながった世界と解釋するとこうなる。
___│東野版│西村~│石坂~
___│___│佐野版│里見版
1690年│第03部│___┳第29部 光圀隠居(第29部)
1691年│___│___┃第41部
1692年┳第04部┳第14部┃___ 勝山藩主交代2年目(第14部?)
1693年┃___┛┳━━┃第40部┐前庄内藩主・酒井忠義13回忌(第40部?)
1694年┃第01部┓┛__┛___│松尾芭蕉没。藤井紋太夫没(第1部、第29部)
1695年┛___┃___│___┴越後騒動から14年(第4部)
1696年│___┣第28部│___ 徳川源六(のちの吉宗)が元服(第28部?)
1697年│___┃___│第38部 元禄丁丑年(第38部)
1698年│___┃___│第37部 徳川吉孚14歳。光貞隠居(第37部)
1699年│___┃___│___
1700年│___┛___│___
___│___│佐野版│里見版
1690年│第03部│___┳第29部 光圀隠居(第29部)
1691年│___│___┃第41部
1692年┳第04部┳第14部┃___ 勝山藩主交代2年目(第14部?)
1693年┃___┛┳━━┃第40部┐前庄内藩主・酒井忠義13回忌(第40部?)
1694年┃第01部┓┛__┛___│松尾芭蕉没。藤井紋太夫没(第1部、第29部)
1695年┛___┃___│___┴越後騒動から14年(第4部)
1696年│___┣第28部│___ 徳川源六(のちの吉宗)が元服(第28部?)
1697年│___┃___│第38部 元禄丁丑年(第38部)
1698年│___┃___│第37部 徳川吉孚14歳。光貞隠居(第37部)
1699年│___┃___│___
1700年│___┛___│___
俳優が交代するたびに、光圀の隠居時代を繰り返して描いていると解釋すると、作品同士の矛盾も少なくてすむ。ドラマの光圀は第28部と第38部で2回も吉宗(新之助、源六)に会っていたように見えるが、第38部の源六の話は第28部の新之助の話のリメイクと解釋してもいいだろう。
第38部第9話の舞台が丁丑年であるため、第5話の源六が元服後の設定(名前は正式には頼方)になってしまっている。
第38部が放送された2008年は子年で、ドラえもんが「ネズミ年」の恐怖におびえていた(1984年も同じ)時期である。2009年は丑年であった。
吉宗が元服した1696年で、丙子の年、つまり子年(ねどし)なので、第38部の公家の話は「元禄丁丑」でなく「元禄丙子」としていればよかった。そうすれば、放送当時も時代設定も子年、しかも吉宗が源六から頼方に改名する寸前だったことになって都合がよかったのだが、次の丑年の設定にしてしまったのは惜しい。
第38部が放送された2008年は子年で、ドラえもんが「ネズミ年」の恐怖におびえていた(1984年も同じ)時期である。2009年は丑年であった。
吉宗が元服した1696年で、丙子の年、つまり子年(ねどし)なので、第38部の公家の話は「元禄丁丑」でなく「元禄丙子」としていればよかった。そうすれば、放送当時も時代設定も子年、しかも吉宗が源六から頼方に改名する寸前だったことになって都合がよかったのだが、次の丑年の設定にしてしまったのは惜しい。
なお、『水戸黄門』で光圀が敦賀を訪れていた1697年(元禄丁丑年)は吉宗が江戸で将軍・綱吉に謁見した年であった。
ドラマの光圀が敦賀にいた1697年3月3日から1箇月余りののち、元禄10年(1697年)4月11日に越前葛野藩3万石の藩主(形だけで現地では家臣が治めていた模様)となっている。それから8年後、1705年の吉宗は紀伊藩主となった。
ドラマの光圀が敦賀にいた1697年3月3日から1箇月余りののち、元禄10年(1697年)4月11日に越前葛野藩3万石の藩主(形だけで現地では家臣が治めていた模様)となっている。それから8年後、1705年の吉宗は紀伊藩主となった。
里見浩太朗版はお娟の設定では石坂浩二版を継承しているように見えるが、弥七や新旧八兵衛の描写では佐野浅夫版以前を継承しているようなところもある。
石坂版以降では弥七は里見版の第37部が「初登場」であり、うっかり八兵衛は第40部が初登場で、初代八兵衛と光圀の旅は話に出ただけで、描かれてはいないはずである。
石坂版以降では弥七は里見版の第37部が「初登場」であり、うっかり八兵衛は第40部が初登場で、初代八兵衛と光圀の旅は話に出ただけで、描かれてはいないはずである。
追加
井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では吉宗が新之助を名乗ったのは1694年。これなら第28部の時代設定は1694年でもおかしくないので、この時期に一行に同行していた初代八兵衛が第40部で2代目八兵衛にお供を譲ったとしても、それも1694年の話であれば辻褄が合う。
井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では吉宗が新之助を名乗ったのは1694年。これなら第28部の時代設定は1694年でもおかしくないので、この時期に一行に同行していた初代八兵衛が第40部で2代目八兵衛にお供を譲ったとしても、それも1694年の話であれば辻褄が合う。