┌『水戸黄門』放送40年を10年ごとに分けて光圀隠居10年間と対応
↓
放送年に第何部かを追加してみる。
それぞれのシリーズの時代設定が左の江戸時代の西暦にそのまま対応しているとは限らない。
また、表作成の便宜上、光圀の没年である1700年は時代設定から除外してみた。
格之進の役が1978年に横内正から大和田伸也になった段階で番組は10年目を迎えている。
助三郎役が里見浩太朗からあおい輝彦になった1988年第18部の時点で番組は20年目。
さらに20周年を迎えた1999年の第27話を最後に風車の弥七が一度、降板。俳優を変えて弥七が再登場したのは2009年の第40部であった。
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放送年に第何部かを追加してみる。
それぞれのシリーズの時代設定が左の江戸時代の西暦にそのまま対応しているとは限らない。
また、表作成の便宜上、光圀の没年である1700年は時代設定から除外してみた。
格之進の役が1978年に横内正から大和田伸也になった段階で番組は10年目を迎えている。
助三郎役が里見浩太朗からあおい輝彦になった1988年第18部の時点で番組は20年目。
さらに20周年を迎えた1999年の第27話を最後に風車の弥七が一度、降板。俳優を変えて弥七が再登場したのは2009年の第40部であった。
1690 1969第01部┌→1979第10部┌→1989第19部┌→1999第27部____┌→2009第40部
1691 1970第02部│_1980第11部│_1990第20部│_2000第28部____│_2010第41部→第42部
1692 1971第03部│_1981第12部│_1991___│_2001第29部____│_2011第42部→第43部
1693 1972___│_1982第13部│_1992第21部│_2002第30部→第31部│_2012
1694 1973第04部│_1983第14部│_1993第22部│_2003第32部→千回SP│_2013
1695 1974第05部│_1984___│_1994第23部│_2004第33部____│_2014
1696 1975第06部│_1985第15部│_1995第24部│_2005第34部→第35部│_2015SP
1697 1976第07部│_1986第16部│_1996第25部│_2006第36部____│_2016
1698 1977第08部│_1987第17部│_1997___│_2007第37部____│_2017BS
1699 1978第09部│_1988第18部│_1998第26部│_2008第38部→第39部│
1700 1979→──┘_1989→──┘_1999→──┘_2009→──────┘
1691 1970第02部│_1980第11部│_1990第20部│_2000第28部____│_2010第41部→第42部
1692 1971第03部│_1981第12部│_1991___│_2001第29部____│_2011第42部→第43部
1693 1972___│_1982第13部│_1992第21部│_2002第30部→第31部│_2012
1694 1973第04部│_1983第14部│_1993第22部│_2003第32部→千回SP│_2013
1695 1974第05部│_1984___│_1994第23部│_2004第33部____│_2014
1696 1975第06部│_1985第15部│_1995第24部│_2005第34部→第35部│_2015SP
1697 1976第07部│_1986第16部│_1996第25部│_2006第36部____│_2016
1698 1977第08部│_1987第17部│_1997___│_2007第37部____│_2017BS
1699 1978第09部│_1988第18部│_1998第26部│_2008第38部→第39部│
1700 1979→──┘_1989→──┘_1999→──┘_2009→──────┘
第32部の直後に1000回記念スペシャルが放送された。
次は放送年を排除して第何部かだけで配列してみる。
やはり、それぞれのシリーズの時代設定が左の江戸時代の西暦にそのまま対応しているとは限らない。
例えば、第3部の時代設定は1690年のようだが、第1部と第29部で藤井紋太夫の最期が描かれており、これは調べてみると1694年末か1695年初めのこと。第37部最終回の時代設定は1698年、第38部第9話の時代設定は1697年、第40部の時代設定は1693年ごろか、少なくとも1694年以前である。
やはり、それぞれのシリーズの時代設定が左の江戸時代の西暦にそのまま対応しているとは限らない。
例えば、第3部の時代設定は1690年のようだが、第1部と第29部で藤井紋太夫の最期が描かれており、これは調べてみると1694年末か1695年初めのこと。第37部最終回の時代設定は1698年、第38部第9話の時代設定は1697年、第40部の時代設定は1693年ごろか、少なくとも1694年以前である。
1690 第01部┌→第11部┌→第21部┌→第31部_____┌→2009第41部
1691 第02部│_第12部│_第22部│_第32部→1000回SP│_2010第42部
1692 第03部│_第13部│_第23部│_第33部_____│_2011第43部
1693 第04部│_第14部│_第24部│_第34部_____│_2012
1694 第05部│_第15部│_第25部│_第35部_____│_2013
1695 第06部│_第16部│_第26部│_第36部_____│_2014
1696 第07部│_第17部│_第27部│_第37部_____│_2015SP
1697 第08部│_第18部│_第28部│_第38部_____│_2016
1698 第09部│_第19部│_第29部│_第39部_____│_2017BS
1699 第10部│_第20部│_第30部│_第40部_____│
1700 └→─┘_└→─┘_└→─┘_└→──────┘
1691 第02部│_第12部│_第22部│_第32部→1000回SP│_2010第42部
1692 第03部│_第13部│_第23部│_第33部_____│_2011第43部
1693 第04部│_第14部│_第24部│_第34部_____│_2012
1694 第05部│_第15部│_第25部│_第35部_____│_2013
1695 第06部│_第16部│_第26部│_第36部_____│_2014
1696 第07部│_第17部│_第27部│_第37部_____│_2015SP
1697 第08部│_第18部│_第28部│_第38部_____│_2016
1698 第09部│_第19部│_第29部│_第39部_____│_2017BS
1699 第10部│_第20部│_第30部│_第40部_____│
1700 └→─┘_└→─┘_└→─┘_└→──────┘
第3部の時代設定はまだ光圀が隠居した1690年(元禄3年)であったようなので、第1部で1694年末まで描いたところで、また1690年に戻ったことになる。
1694年没の松尾芭蕉が生きていた第40部でうっかり八兵衛がちゃっかり八兵衛と交代した。これを1693年ごろとした場合、第28部で光圀が京都で紀州の若様・新之助(おそらくのちの吉宗)と出会ったときはうっかり八兵衛がまだ「現役」のお供だったはずなので、1693年ごろ。「新之助」は1696年の吉宗元服のときの別名のようだが、それ以前から「新之助」だったのだろう(『暴れん坊将軍』の吉宗は子供のころから「新之助」だったようで乳母や幼馴染みもそう読んでいたようだ)。
一方、第38部で光圀が和歌山でやはり紀州の若様だった源六(同じくのちの吉宗)と出会ったときは1697年と思われる。このとき、八兵衛はお供せず、おけらの新助が同行していた。第37部で描かれた1698年当時の漫遊でも町人のお供はおけらの新助だったので、これは問題なし。
しかし、時代設定から言えば、第28部の新之助こそ「源六」と名乗っていた可能性が高く、第38部の源六は逆に「新之助」または「頼方」だった可能性が高い。
追加
井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では源六と名乗っていた吉宗が新之助を名乗ったのは1694年。これなら第28部の時代設定は1694年でもおかしくないので、この時期に一行に同行していた初代八兵衛が第40部で2代目八兵衛にお供を譲ったとしても、それも1694年の話であれば辻褄が合う。
井口朝生『徳川吉宗―物語と史蹟をたずねて―』(成美文庫)では源六と名乗っていた吉宗が新之助を名乗ったのは1694年。これなら第28部の時代設定は1694年でもおかしくないので、この時期に一行に同行していた初代八兵衛が第40部で2代目八兵衛にお供を譲ったとしても、それも1694年の話であれば辻褄が合う。
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