『水戸黄門』で訪問先が高松、庄内(鶴岡)、越後の場合

第20部第7話では桑名を訪れ、確か八兵衛が腹痛か何かを訴え、中野良子扮する桑名一の名医が八兵衛を診察。女医は光圀一行から1両を小銭で請求。その女医は金持ちの患者からは高い治療費をもらい、貧しい患者に薬を与えるとともに逆に金も与えていた。個人による一種のバラマキである。今の日本では西洋諸国のように金持ちが財産を公共に寄付することがないので、公共機関がやることとなる。

『水戸黄門』では第3部第8部第16部でも光圀たちが桑名を訪れているが、このとき、光圀はこの女医さんの話は聴いていなかったのだろうか。
第28部の赤穂での話では、ラストシーンのナレーションで「松の廊下の刃傷のときには水戸老公がこの世にいなかったのが惜しい」という趣旨の話であった。

第29部の第25話では高松藩主・松平頼常が江戸に呼び出されている。尾張大納言は徳川光友。尾張藩主だったのは1693年まで。藤井紋太夫が光圀の敵である話のようだが、これは第1部第1話と第2話でも描かれたようだ。第1部で佐藤慶が、第29部最終回では大出俊が演じたようだ。第30部では紋太夫は故人となっている。紋太夫没年は陰暦で1694年(元禄7年)、陽暦で1695年。時代が5年も進んだり戻ったりしている。

第30部第14話では光圀が紀州で伊賀忍者から襲われ、黒幕は柳沢吉保らしく、紀伊光貞が光圀を守ろうとしたらしい。しかし第37部では光貞が光圀の敵になっていた。これはどういうことか。
第30部は紋太夫事件の直後のようなので1694年末か1695年以降である。第37部の時代設定は1698年と思われるので、この3年ないし4年間で光貞が光圀を敵視するようになったか。
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