『小三』3は『小学三年生』3月号の意味。

1964_00 てんコミ第2巻「ぼくの生まれた日」でのび太誕生
1965_01
1966_02
1967_03
1968_04
1969_05
1970_06 1970年正月当時、5歳と約5箇月
1971_07
1972_08
1973_09
1974_10_00 『小三』3「さようなら、ドラえもん」、『小四』4「帰ってきた~」
1975_11_01
1976_12_02
1977_13_03 『小六』3「りっぱなパパになるぞ!」掲載
1978_14_04
1979_15_05
1980_16_06
1981_17_07
1982_18_08 松田聖子「赤いスイートピー」、玉子とのび太がサイン会を見物?
1983_19_09
1984_20_10_00 「にが手こくふく錠」、1984年正月(のび太小4なら1973年生まれ
1985_21_11_01
1986_22_12_02 3月『のび太と鉄人兵団』公開
1987_23_13_03
1988_24_14_04
1989_25_15_05
1990_26_16_06
1991_27_17_07
1992_28_18_08
1993_29_19_09
1994_30_20_10_00
1995_31_21_11_01
1996_32_22_12_02
1997_33_23_13_03
1998_34_24_14_04
1999_35_25_15_05
2000_36_26_16_06
2001_37_27_17_07
2002_38_28_18_08 原作「りっぱなパパになるぞ!」における25年後
2003_39_29_19_09
2004_40_30_20_10_00
2005_41_31_21_11_01
2006_42_32_22_12_02 3月『のび太の恐竜2006』
2007_43_33_23_13_03
2008_44_34_24_14_04
2009_45_35_25_15_05
2010_46_36_26_16_06

『のび太の人魚大海戦』でゲスト声優をつとめた真矢みきは1964年1月31日生まれなので1963年度生まれの学年に入る。
温水洋一(ぬくみず~)は1964年6月19日生まれなので、この1964年生まれののび太と同学年で、誕生日から考えるとジャイアン(6月15日生まれ)と年齢が最も近い。
1974年(推定)の4月1日、エイプリル・フールの日ということで、のび太に「ドラえもんが来た」という嘘をついたジャイアンは1964年6月生まれであろう。

原作の「にが手こくふく錠」の話で、1984年の「ネズミ年」の正月、のび太のもとに鼠の絵や文字の描かれた年賀状が届いた。当時、のび太はドラえもんから鼠を恐れる性格を移されていたので、のび太がその年賀状を観て驚くこととなった。
この場合、1984年正月でのび太が小4なら、のび太は1983年の8月で10歳ということになり、1963年生まれにずれる。1964年の早生まれである真矢みきと同学年である。

1994年生まれののび太は2005年4月から2006年3月まで小学5年。『のび太の恐竜2006』公開時ののび太が小5だったとすると1994年生まれで、映画公開期間は小5から小6になる途中の春休みである。
一方、2006年4月で小5ののび太であれば、生まれた年は1995年にずれ、1歳「年下」になる。

2007年のアニメ「ママのダイヤを盗み出せ」で7歳の玉子が松田聖子のサイン会の会場に来ており、「赤いスイートピー」が出た1982年で玉子が7歳とすると1975年生まれ。但し、もしサイン会のとき、玉子は誕生日前で、その時点で7歳だったのなら、1982年の誕生日で8歳になったわけだから、その場合は1974年生まれになる(下注釋)。

前後一覧
2010年9月 9/3

関連語句
10年間隔


注釋
1974年生まれ
『ドカベン プロ野球編』と『スーパースターズ編』の土井垣将は1974年7月生まれである。松井秀喜と同い年だ。
『ドカベン』明訓編の初期では、この1974年7月当時、18歳の土井垣(1956年生まれ)、16歳の山田太郎(1958年5月5日生まれ)、15歳の岩鬼正美(1957年4月1日生まれ)が明訓高校野球部員として神奈川予選を戦っていたはず。
『ドカベン プロ野球編』と『スーパースターズ編』の山田太郎は1976年5月5日生まれ、岩鬼正美は1977年4月1日生まれなので、1974年当時は「生まれていなかった」ことになる。
4月1日は春休みで、1977年『小六』3月号では「りっぱなパパになるぞ!」の野比のび太が小学校卒業を目前にしていた。こののび太は1964年生まれで、77年3月当時で12歳7箇月であった。

てんコミではのび太は小4に統一されるので、てんコミ版「りっぱな~」ののび太が1977年で10歳とすると1967年生まれ。清原和博と同い年。
『大甲子園』の山田太郎が1985年度で高3とすると同じく1967年生まれになる。この場合、土井垣は1965年7月生まれで古田敦也と同い年(古田敦也は8月6日生まれで誕生日がのび太と1日違い)。岩鬼は1968年4月1日生まれで生年月日が桑田真澄と一致する。
もっとも『大甲子園』の山田世代高3は1982年度、83年度、84年度のの可能性もある。
└→『大甲子園』の時代設定