『水戸黄門』の時代考証に関しては、水戸光圀はそもそも諸国漫遊はしていない、関東の内部を視察しただけということが何度か指摘されており、ドラマで光圀が「副将軍」というのもフォクションで、老中や側用人がいれば「副将軍」は不要である。

 

『水戸黄門』の中の問題の解決法の政治的な問題については、2007年、鳥取県の知事だったころの片山善博氏が雑誌『中央公論』2007年4月号で「改革派知事」への疑問の中の比喩として述べている(下注釋)。

 

分権自治の根源は議会にある「改革派知事」待望は水戸黄門幻想だ=片山善博 [中央公論] white
“水戸黄門”よりチェック機能を
(中略)
『水戸黄門』というテレビの時代劇がある。「改革派知事」ブームはこれに似ていた。水戸黄門の事件解決は鮮やかだ。だが、その地域の構造的な改革にはつながっていないので、一行が去ってしまえば、また同じ問題が起きる。だからテーマは絶えることなく、長寿番組にもなる。水戸黄門の悪いところは、そのつまみ食い的な問題解決をみんながもてはやし、すっきりした気持ちになってしまうことだ。
「改革派知事」とは、こんな水戸黄門を待望するメディアの幻想だったのかもしれない。

(『中央公論』2007年4月号)

 

確かに『水戸黄門』では光圀が何度世直し旅をしても日本各地の不正がなくならず、光圀が関東に戻るとまた各地で不正が起きる。光圀は水戸や江戸に腰を落ち着けている暇がない。『大日本史』編纂よりも日本旅行ガイドブックでも執筆したほうがよかったことになる。

 

『水戸黄門』では光圀を演じる俳優が変わるたびに、前に訪れた場所をまた訪れ、あるいは同じような脚本が繰り返されており、同じ時代の同じ事件の描写を作り直しているようにも見える。京都で公家と対決する話も何度かあり、紀州藩の若君だった吉宗(源六、新之助)と会う話も2回はあったようだ。
光圀の家族、親戚がいる四国高松藩や鶴岡の庄内藩には何度も訪れているようだが、劇中では何度訪れていることになっているのかわからない。

 

大野敏明氏も『歴史ドラマの大ウソ』で書いていたが、光圀が隠居していた10年間を40年かけて描いているのだから、スタッフの苦労もあるし、無理が多いのである(下注釋)。
『水戸黄門』では光圀がどこを訪れても、前に訪れたときの後日談が何も語られていない。光圀が初めて訪れたのか、2回目なのか、3回目なのかもわからないようになっている。

 

光圀は江戸にいる政敵・柳沢吉保を失脚させることはできない。東野英治郎版の初期で柳沢失脚が描かれたらしいが、それもあとで「復活」している。史実では柳沢は光圀没後も幕府で実権を握り、綱吉が没した1709年に幕政から退いたのだから、ドラマではさしもの水戸光圀も足元の敵をどうすることもできないわけだ。
むしろドラマの水戸藩主が「副将軍」などというありもしない役職をひけらかして、藩主や幕臣の仕事に口を出していることが、江戸や各地の問題を引き起こしているとも言える。

 

片山氏が言うように、長寿番組になるということは、水戸光圀の旅が一時的な対症療法であることを意味しており、地域の構造的、根本的解決になっていないことを表している。

 

第37部最終話では紀伊大納言・光貞が黒幕となり、水戸綱條の息子・吉孚が一時、誘拐され、光圀が吉孚を救出した。これも光貞たちにとって水戸徳川家の名乗る「副将軍」が邪魔だったことによるもので、光貞一派は綱條や光圀が政治から身を引くことを望んでいたわけだ。ドラマの光貞一派のしたことは確かに悪いが、「副将軍」という実際にはありもしない肩書をひけらかしていたドラマの水戸徳川家自身がトラブルを招いていたとも考えられる。

 

『水戸黄門』というのは日本各地の問題を中央政府の使者が解決することの繰り返しを描いた番組で、地方の問題について地元の為政者も住民も無力であり、その意味では民主主義と地方分権を否定した番組である。確かにまつりごとは民のためにあるべきだという思想はあるが、それも徳川の血統と身分を前面に出して人を平伏させた結果であり、相手は政治倫理に平伏しているのでなく、徳川の権威に平伏しているだけである。だから光圀一行が去るとまた同じ問題が繰り返されるのだ。

 

番組は視聴者の要望に応えた結果、長寿番組となり、印籠も定番化したわけで、むしろ、こういう他力本願の権威主義的な手法を讃美する国民性が問題なのかも知れない。

 

 

補足
2007年4月は『水戸黄門』第37部が始まった時期だった。
鬼若とアキが退場し、弥七が「復活」した。

 

平成24年tw

2012年10月17日(水)
今でも一部(多く?)の日本人は政治や生活に不満があると政治家や官僚を「悪代官」に喩えて「水戸黄門」の出現を望むようだがそれは幻想である。史実では関東からほとんど出ていないとされる徳川光圀。彼が時代劇でやっていた世直しは、地方政治の中間管理職の人事交代を推進していただけである。
1:36 - 2012年10月17日

 

2012年10月24日(水)
@kyojitsurekishi 「朝ズバ」8時またぎでは法務大臣の辞任に関して元総務大臣の片山善博氏がコロコロ変わる大臣人事に苦言を呈していた。片山氏といえば「水戸黄門幻想」に対する批判。水戸黄門が悪代官を退治してもその地域では代官がコロコロ変わるだけで事態は何も改善しなかった。
posted at 08:44:17

 

平成27年tw

ちはや@suikutu

水戸黄門みながら、成敗された悪徳代官の後釜がちゃんとした奴じゃなかった場合これ振り出しだよな…ってブラック本丸引き継ぎに不安を募らせる刀剣男士みたいな気分になってる

午後2:44 · 2015年6月30日·jigtwi for Android

 

2015年06月30日(火)
水戸黄門の旅は日本各地で説教しながら移動するだけで、不正を防ぐ根本的な解決になっていない。
posted at 01:36:36
related tweet

 

平成20年tw

時代が21世紀に入って10年の間に「水戸黄門」の視聴率が全体的に下がっていた原因は何だったか。「時代の変化で『水戸黄門』そのものが受け入れられなくなった」というような見方もあったが、一方で「たまたま石坂浩二や里見浩太朗の水戸黄門が受け入れられなかっただけだ」という意見もあるだろう

/午前7:37 · 2017年6月3日/

 

平成30年tw

2018年01月14日(日)

@sipng0410 @aishiterusoccer 時代劇の水戸黄門は各地の地方政治に一時的に干渉して去っていくだけで、旅が一段落するとまた各地で問題が起き、旅が繰り返されます。根本的解決にならないだけでなく、各地で地元の自浄能力が育たなくなる悪影響があるでしょう。

posted at 10:05:04

 

令和2年tw

水戸黄門幻想〕 - Twitter
 
令和4年tw

/#権力者と無関係な時代劇/ /#水戸黄門幻想

特撮に関する話でも/#ウルトラマン症候群/という言い方がある。

/午後7:40 · 2022年3月18日/

 

/#権力者と無関係な時代劇

/#権力者が無力で善良な庶民を助けてくれる時代劇

これは「(強い)権力者」が「無力で善良な庶民」を助けてくれる時代劇という意味。自動翻訳だと「権力者が無力で~」が先に翻訳されるだろうか?

/午後7:51 · 2022年3月18日/

 

/#権力者と無関係な時代劇

/#権力者が無力で善良な庶民を助けてくれる時代劇(「権力者」が「無力で善良な庶民」を助けてくれる時代劇) 

/#水戸黄門幻想/

/午後7:56 · 2022年3月18日/

 

/@kyojitsurekishi/

藤子・F・不二雄が亡くなった平成8年当時、新聞の投書欄に「安易に ひみつ道具に頼る のび太の失敗がF先生のメッセージ」という評論が載っていた。 (続く)

(続き) 平成19年、片山善博氏が「中央公論」で「#水戸黄門幻想」と地方政治について述べていた。光圀の諸国漫遊はフィクションだが、ドラマの水戸老公は根本的な解決をしないから、一行が去るとまた各地で悪代官が現れ、同じ問題が繰り返される。だからこそシリーズが長く続いたというわけだ。

/午後2:41 · 2022年4月14日//午後2:45 · 2022年4月14日/

 

/#水戸黄門幻想/ 平成19年「中央公論」 
 

#ウルトラマン症候群#水戸黄門幻想♯ 

「国民的」なものは叩かれる。 自称「パーマン派」の/#松重豊/氏による「ドラえもん」批判もこれに近い。 「ウルトラQ」や「キテレツ大百科」の方がいいという意見なら納得である。

posted at 12:06:19

/午後0:06 · 2022年5月14日/

 

/中央公論 2007年 04月号 [雑誌] | |本 | 通販 | Amazon/

posted at 12:06:55

/午後0:06 · 2022年5月14日/

 

TWEET(8)〕〔TWEET(9)〕〔TWEET(10)〕
TWEET(11)〕〔TWEET(12)

 

前後一覧
2010年8/31 9月 9/1(Y!Blog)
平成22年(2010年)9月1日~3日(AmebaBlog)

 

関連語句
片山善博氏 [5]〕

 

10年の歴史を40年で描く
石坂浩二版になった第29部の第1話では貞享元年(1684年、吉宗が生まれた年)ごろから話が始まり、元禄3年(1690年)の光圀隠居までが描かれたようだ。光圀は寛文元年(1661年)から藩主で、それから40年後に没したので、隠居時代を10年間描いたら、藩主時代をさかのぼって描いてもよかったと思う。
武田鉄矢主演の『水戸黄門』はBS-TBSで平成29年と令和元年に放送された。昭和44年(1969年)の東野英治郎主演シリーズが始まってから50年。

参照