水戸光圀は「史実」ではほとんど関東から出ていない。
出たといっても福島県南端の勿来(なこそ)、静岡県東端の熱海がせいぜいで、ほとんど関東周辺である。
これについてはNHKの『歴史への招待』で取り上げられており、調べてみると1980年4月10日放送であった(下注釋)。
当時、TBSの『水戸黄門』で光圀役が東野英治郎、佐々木助三郎役が里見浩太朗、渥美格之進役が大和田伸也だった。
出たといっても福島県南端の勿来(なこそ)、静岡県東端の熱海がせいぜいで、ほとんど関東周辺である。
これについてはNHKの『歴史への招待』で取り上げられており、調べてみると1980年4月10日放送であった(下注釋)。
当時、TBSの『水戸黄門』で光圀役が東野英治郎、佐々木助三郎役が里見浩太朗、渥美格之進役が大和田伸也だった。
ところで鈴木健二司会の『クイズ面白ゼミナール』の「歴史クイズ」は「武士と武士が道ですれ違って、刀がぶつかったらどうするか(時代劇では斬り合いになりそうだが、実際はそのまま通り過ぎた)」といった生活習慣、正義作法、風俗関係の細かい話がおおく、『歴史ドラマの大ウソ』もそれに近いテーマを扱っている。
ずっとあとになって、フジテレビの『トリビアの泉』で「水戸黄門の旅、最大の遠出は鎌倉」というトリビアが紹介された。
『新編鎌倉志』に記録されている。
インターネットで調べると、熱海にも行っているので、本当は熱海が最大の遠征先だが、いずれにしろ関東と隣接しており、これが「史実」における光圀の遠出の限界だったのだろう。
『新編鎌倉志』に記録されている。
インターネットで調べると、熱海にも行っているので、本当は熱海が最大の遠征先だが、いずれにしろ関東と隣接しており、これが「史実」における光圀の遠出の限界だったのだろう。
『水戸黄門』の中の問題の解決法の政治的な問題については、2007年、鳥取県の知事だったころの片山善博氏が雑誌『中央公論』2007年4月号で「改革派知事」への疑問の中の比喩として述べている。
大野敏明氏は『歴史ドラマの大ウソ』の88ページで光圀が隠居していた10年を『水戸黄門』で40年かけて描いていることについて「その苦労は察するに余りある」としているが、具体的にどんな苦労かは述べていない(下注釋)。
そのほかは、水戸藩士である助三郎も格之進も茨城辯を使っておらず、「東京標準語」であること、光圀が日本全国どこに行ってもことばが通じる描写の問題(江戸時代は方言の佐賀激しく通譯や筆談が必要だった)、男女数人のグループが雑談しながら歩いて旅することなど、江戸時代にはありえなかった点を上げている。
そのほかは、水戸藩士である助三郎も格之進も茨城辯を使っておらず、「東京標準語」であること、光圀が日本全国どこに行ってもことばが通じる描写の問題(江戸時代は方言の佐賀激しく通譯や筆談が必要だった)、男女数人のグループが雑談しながら歩いて旅することなど、江戸時代にはありえなかった点を上げている。