『龍馬伝』では武家の若い男女が互いに「告白」をする場面などがあり、その種の感情表現、言動がやたら現代的で、「俳優が和服を着てかつらをかぶっただけの現代青春ドラマ」のように見えてしまい、それで観る気が薄れてしまった。
それで思い出したのだが、実写ドラマ版『JIN-仁-』の最終回予告では南方仁がやたら泣いている画像ばかり出て、内容についての情報が何もなかったので、観るのをやめた記憶がある。だから最終回は観ていない。ネットの情報では、結末にならない最終回で、不満を持った視聴者が多かったらしい。
『JIN-仁-』はタイムスリップもので、南方仁は現代人なので、さすがに『歴史ドラマの大ウソ』では題材になっていないようだ。しかし、『龍馬伝』の龍馬が現在人のように感情豊かでは不自然というわけだ。
『JIN-仁-』はタイムスリップもので、南方仁は現代人なので、さすがに『歴史ドラマの大ウソ』では題材になっていないようだ。しかし、『龍馬伝』の龍馬が現在人のように感情豊かでは不自然というわけだ。
戦国時代を扱った『天地人』も、ときどき観ると、心理描写や感情表現、回想シーンが続き、何を言いたいドラマなのかわからず、個別の場面が歴史上、どういう価値のあるものなのかまるで理解できなかった。
テレビというのは人間の表情だけを強調して、それで視聴者を引き付けようとする悪癖があるが、テレビの画面で人間が泣こうが笑おうが、そんな映像に何の価値もない。
『江(ごう)』に出演した女優が表紙の『AERA』では「昔の時代劇は静かだったが今の時代劇は感情を素直に出す」ことを時代の流れのように述べている記事があった。
Y!Japan アエラ 江 ごう 表紙
Y!Japan アエラ 江 ごう 表紙
関連語句
龍馬伝 龍馬 加尾 龍馬伝 龍馬 加尾 好き 大器晩成
┌大河『江』は「時代劇」か、「歴史劇」か(両方だ)
↓
注釋
Samurai Drama
読売新聞の英語版『Daily Yomiuri』のテレビ欄では時代劇は Samurai Drama であり、TBS『水戸黄門』の再放送ではそれでもいいだろうが、『天平の甍』や『大仏開眼』『唐招提寺』のように僧侶や貴族が主に登場する時代劇は「サムライのドラマ」と呼んでいいかどうか疑問である。
龍馬伝 龍馬 加尾 龍馬伝 龍馬 加尾 好き 大器晩成
┌大河『江』は「時代劇」か、「歴史劇」か(両方だ)
↓
注釋
Samurai Drama
読売新聞の英語版『Daily Yomiuri』のテレビ欄では時代劇は Samurai Drama であり、TBS『水戸黄門』の再放送ではそれでもいいだろうが、『天平の甍』や『大仏開眼』『唐招提寺』のように僧侶や貴族が主に登場する時代劇は「サムライのドラマ」と呼んでいいかどうか疑問である。
『義経』
義経と弁慶の没年は1189年であるが、鎌倉時代の始まりが1192年だとすると義経は平安時代の人物で、1185年から鎌倉時代だとすると義経は平安末から鎌倉時代までの人物になる。
2012年の大河『平清盛』も時代劇だとすると、『陰陽師』のように平安時代を描いた作品も時代劇に入る。『風と雲と虹と』も時代劇ということになる。
義経と弁慶の没年は1189年であるが、鎌倉時代の始まりが1192年だとすると義経は平安時代の人物で、1185年から鎌倉時代だとすると義経は平安末から鎌倉時代までの人物になる。
2012年の大河『平清盛』も時代劇だとすると、『陰陽師』のように平安時代を描いた作品も時代劇に入る。『風と雲と虹と』も時代劇ということになる。
『仕事人アヘン戦争へ行く』
1983年の作品で、時代設定は1842年。主水、秀、勇次、加代、順之助が熱気球で香港に渡った。当時の日本にいなかったはずの平賀源内やナポレオンが登場するなど必殺ならではの「お遊び」が多いが、遠山景元の彫り物に関してはテレ朝やTBSの時代劇にあるような「桜吹雪」とは違って別の図柄となっていた。NHK『オトコマエ!』で柴田恭兵が演じた景元は捜査を部下に任せるなどリアルな設定の中でも相変わらず桜の彫り物をしていた。時代劇では一方で「史実」から離れた脚色しながら、一方では「史実」や「異説」を紹介することがあり、それは大河『江』も同じで、江姫の伊賀越えなどは脚色が凄いが、上述したように信長のドクロの杯や市の小豆の袋に関しては從来の描写に対しての異論を示しているように見える。
アヘン戦争当時の西洋科学の学者なら平賀源内より高野長英がふさわしい。もっとも歴史上の人物の没年を無視する脚色はTBS『大岡越前』における大岡忠高、『江戸を斬る』における鼠小僧や河内山宗春についても言える。
1983年の作品で、時代設定は1842年。主水、秀、勇次、加代、順之助が熱気球で香港に渡った。当時の日本にいなかったはずの平賀源内やナポレオンが登場するなど必殺ならではの「お遊び」が多いが、遠山景元の彫り物に関してはテレ朝やTBSの時代劇にあるような「桜吹雪」とは違って別の図柄となっていた。NHK『オトコマエ!』で柴田恭兵が演じた景元は捜査を部下に任せるなどリアルな設定の中でも相変わらず桜の彫り物をしていた。時代劇では一方で「史実」から離れた脚色しながら、一方では「史実」や「異説」を紹介することがあり、それは大河『江』も同じで、江姫の伊賀越えなどは脚色が凄いが、上述したように信長のドクロの杯や市の小豆の袋に関しては從来の描写に対しての異論を示しているように見える。
アヘン戦争当時の西洋科学の学者なら平賀源内より高野長英がふさわしい。もっとも歴史上の人物の没年を無視する脚色はTBS『大岡越前』における大岡忠高、『江戸を斬る』における鼠小僧や河内山宗春についても言える。
『のだめ』の視聴者
「『江』の上野樹里がのだめに見える」というのは批判にはならない。そう言っている人は「自分は『のだめ』も観て『江』も観ています」と告白しているだけである。もしNHKが『のだめ』を観ていた層を大河に取り込もうとして、その「餌」として『江』の配役を決めたとすると、「江がのだめに見える」と言う人はその「餌」にまんまと釣られているだけである。
参照
『歴史ドラマの大ウソ』(大野敏明著、産経新聞出版)・その1
時代劇が「史実」と違うことは批判されるべきことか
『龍馬伝』2010年9月26日放送「馬関の奇跡」
一般時代劇vs必殺シリーズ(2010年8月~)
「『江』の上野樹里がのだめに見える」というのは批判にはならない。そう言っている人は「自分は『のだめ』も観て『江』も観ています」と告白しているだけである。もしNHKが『のだめ』を観ていた層を大河に取り込もうとして、その「餌」として『江』の配役を決めたとすると、「江がのだめに見える」と言う人はその「餌」にまんまと釣られているだけである。
参照
『歴史ドラマの大ウソ』(大野敏明著、産経新聞出版)・その1
時代劇が「史実」と違うことは批判されるべきことか
『龍馬伝』2010年9月26日放送「馬関の奇跡」
一般時代劇vs必殺シリーズ(2010年8月~)