大阪市天王寺区で戸籍上152歳、1857年生まれが「生存」
1857年(安政4年)生まれだと、2010年の誕生日で153歳である。幕末生まれである。
1857年生まれで、2010年で152歳だと、2010年の誕生日はまだ来ていないことになる。
なお数え年では153歳。
Google 大阪 152歳 生存

滋賀県近江市では1859年(安政6年)生まれで、151歳の男性2名の戸籍が残っていたらしい。
泉重千代氏より「年上」の江戸時代生まれが紙の上では「生存」とされていたわけだ。

三重県志摩市で「163歳」が戸籍上生存。1847年(弘化4年)生まれでエジソンと同い年。
徳川家茂が1846年生まれなので1歳違いだ。
Google 三重 志摩 163歳

山口県防府市で「186歳」が戸籍上生存。1824年(文政7年)生まれ。
8月27日付の朝日新聞では「龍馬より12歳年上」というように、今話題の龍馬を基準にしているが、毎日新聞電子版ではちゃんと徳川家定と同い年ということに触れている。
吉田松陰(1830~1859)より6歳年上だ。
Google 山口 186歳 家定

西暦なら年齢が計算できるが元号では無理。
朝日新聞で「(1824年生まれは)龍馬より12歳年上」としているのは、龍馬を陽暦で「1836年生まれ」とした場合で、もし「龍馬は天保6年生まれだから1835年生まれ」とすると、1824年生まれの家定は龍馬より11歳上になる。家定の妻・天璋院篤姫は龍馬と「同い年」の生まれであった。もし龍馬が1836年生まれなら、1867年没だから、龍馬が生きた歳月は31年前後になる。世間で「龍馬は33年の生涯」という記述があったら2年の逆サバ読みになる。

滋賀県甲賀市では1828年(文政11年)生まれ、シーボルト事件の年に生まれた人の戸籍があったらしい。
中日新聞電子版では西郷隆盛の生まれた年の翌年とあるが、西郷の生まれた年が1827年になるのは陰暦の話で、陽暦では1828年である。

メディアで歴史上の人物の生没年を扱い場合、陰暦だったり陽暦だったり、揺れがある。

2010年8月27日付の読売電子版によると長崎県壱岐市ではついに200歳の戸籍があったらしい。1810年生まれで国定忠治、ショパン(Chopin)と同い年と報道されている。緒方洪庵も1810年生まれ。また、島津斉彬も1809年なので、今年200歳の人は斉彬より1歳年上になる。

緒方洪庵は文政末期の1829年(文政12年)ごろを舞台にした『浪花の華』で若年期が描かれ、幕末を舞台にした『JIN-仁-』ではその晩年が描かれたようだ。

ここまでくると役所の管理のずさんさより、日本の戸籍制度の歴史の長さ、江戸時代からの資料の保存がきちんとしていることに驚く。

8月27日付の毎日電子版では長崎の例のほか、青森市で184歳(1826年生まれ?)、東京都中央区で177歳(1833年生まれ?)、秋田県能代市で170歳(1840年生まれ?)が戸籍上「生存」していることが分かったとの報道も。こうなると戸籍が残っていることを「戸籍上、生存」と表現すること自体、疑わしくなttくる。
同じく8月17日付の毎日新聞によると近代の戸籍制度は1871年(明治4年)の戸籍法に基づいて始まり、よく1872年に初の全国調査がおこなわれて戸籍が作成されたらしい。
1871年というと廃藩置県がった年だ。
1870年ごろであれば、1800年生まれ(水戸斉昭と同い年)は満70歳、数え年71歳だから、長寿であれば生き残っていた可能性がある。


前後一覧
2010年8月 8/25