ここで武内宿禰について述べる。
神話では武内宿禰は300年ほど生きたことになっている。

景行天皇14年(84年)から 仁徳天皇55年(367年)までだと283歳になる。
例えば、もし徳川家康(1542~1617)が300年生きていたら1842年没。実際は1841年に家斉(1773生~)が没している。
もし家康が280年生きていたら1822年没。家斉の治世である。
つまり武内宿禰は家康から家斉までを同一人物として扱っているようなものだ。

ここで八木倍年説で計算してみる。単純に283年を2で割ると141と142の間になる。
84年は傳説上の神武天皇即位年である紀元前660年から744年ほど。
367年は傳説上の神武天皇即位年である紀元前660年から1027年ほど。
倍年説によってそれぞれ半分にすると、武内宿禰の生まれた年は神武即位から372年。没年は神武即位後513年余り。これでも100年以上の開きがある。
神武即位を西暦181年とすると553年生まれ、694年か翌年没なので、やはり141歳か142歳で没。
これでも超人的な長寿である。

もしも徳川家康が140年生きていたら1682年ごろまで生きたことになる。1680年は徳川家綱が没した年だ。
武内宿禰は家康から家綱までを同一人物と解釋しているようなものだ。
『影の軍団』で言えば『新・影の軍団』に登場した安土・桃山時代の服部半蔵と『服部半蔵・影の軍団』に登場した家綱の時代の3代目半蔵、さらに『影の軍団III』の多羅尾半蔵が同一人物と扱われるようなものだ。

神話を含めた天皇の歴史は紀元前660年から紀元後2014年まで2674年とされるが、実際は3世紀から18世紀の長さとすると、およそ3分の2である。ここで古代の神話の人物の実際の寿命が神話の3分の2だとしてみる。
神話で武内宿禰が283年生きたとしてその3分の2は94年と8箇月。
川上哲治(1920年3月23日~2013年10月28日)は93歳7箇月5日で、山田五十鈴(1917年2月5日~2012年7月9日)は95歳5箇月4日で他界した。武内宿禰の長寿はこの両名に匹敵する。

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2010年8月 8/20