山田太郎が1974年に明訓高校に入ったとすると、弁慶高校に敗れたのは75年夏、青田高校との再試合は76年夏、ドラフト指名は76年秋、プロ選手としてのデビューは77年春の開幕戦である。

実際は、弁慶高校に敗れたのが1979年、青田との再試合は85年ごろ、ドラフト市名は94年秋であり、作中の描写と合わない。
しかし、「1974年明訓入学基準」で説明できる場合もある。

○山田高2春選抜直前、掛布と二人で甲子園を訪れた田淵はおそらく阪神在籍(1978年まで)
○同選抜土佐丸戦、殿馬の打球を捕球した犬神がラッキーゾーンに落下しHR(1978年まで)
○山田高2夏甲子園、BT学園との第1戦関東勢対決(1977年まで)
○山田高3夏甲子園、岩田鉄五郎がまだ現役(引退は1997年から20年前)

高2春選抜大会、殿馬の打った打球を犬神が捕球、ラッキーゾーンの金網にしがみついたが、そのあと落下。結果はホームラン。少年チャンピオン・コミックス『ドカベン スーパースターズ編』第14巻によると1978年まではこれでもホームランだったが、1979年からはルール改正でアウトとのこと。すると、犬神と山田の初対戦は1978年より前になり、「明訓入学基準」で1975年春になるから、問題ない。
なお、山田が高2春の選抜の前に甲子園で打撃練習をしていたとき、田淵と掛布が視察していた。田淵は1979年から埼玉の西武に移籍していたので、田淵が阪神のときに春の甲子園を視察したとすると1978年春までである。

『野球狂の詩』の岩田鉄五郎は一度引退し、1997年に「20年ぶり」に現役している。すると引退したのは1997年から20年前だから1977年。19年を「20年」と呼んでいたとしても1978年までである。

次に「明訓入学基準」で合わない点。これは多い。
○山田高1秋の県大会前で野村克也はプロ22年目(1975年以降)
○アニメで山田高1秋、フォアマン来日のきっかけが王貞治の756号HR(1977年以降)
○アニメで山田高2春選抜、岩鬼が円広志の「夢想花」の替え歌を歌った件(1978年秋以降)
○アニメで山田高2夏の予選の前後、ハイジャックされた飛行機が成田空港に着陸(1978年以降)
○山田高2夏甲子園、犬飼小次郎が南海に入ったとき、監督は広瀬(1978年以降)
○山田高2夏甲子園、土井垣が日ハムに入ったとき、野村は西武(1979年以降)
○山田高3夏予選直前、新潟明訓と練習試合(時代は1991年)
○山田高3夏予選、神奈川大会の決勝は横浜球場で開催(1978年以降)
○山田高3夏甲子園、明訓×青田の試合は1982年から1985年までの設定
○山田高3秋ドラフト、時代設定は1994年
○『プロ野球編』の山田太郎は1976年5月生まれ

なお、明訓編初期に描かれたラッキーゾーンは『大甲子園』まで描かれていたが、1992年からは撤去されている。『プロ野球編』では山田太郎が明訓高校に入ったのが1992年春、高2春の選抜は93年であるから、ラッキーゾーンに入るホームランが存在しない。

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2010年8/17