原作第1話でドラえもんとのび太の事実上の初対面が描かれ、舞台は1970年1月のようである。
直後の「ドラえもんの大予言」が1970年2月の話だ。
「未来の国からはるばると」の雑誌掲載当時、のび太は1978年に大学を受験する予定で、こののび太は198年高校卒業で、1959年8月7日生まれ、70年1月で小4。「未来の国からはるばると」がてんコミ第1巻に収録されるとのび太の大学受験は1979年に変更となり、1960年生まれ、70年1月で小3である。

1959年8月7日生まれの「旧初代」のび太は1970年1月で小4の冬休み。満10歳(誕生日から約5箇月)。
1960年8月7日生まれの「初代」のび太は1970年1月で小3の冬休み、70年4月から小4。満9歳。
1961年8月7日生まれののび太は1970年1月で小2の冬休み。満8歳。
1962年8月7日生まれののび太は1970年1月で小1の冬休み。満7歳。

原作第1話ののび太が小学生だったとすると、のび太が生まれたのは1962年までである。
1963年以降にのび太が生まれたとすると、1970年1月ではのび太は幼稚園児または保育園児になる。ここでは幼稚園児だったと假定する。
のび太の過去の場面から察すると、小学校就学前の幼稚園児だったのび太はまだ眼鏡をかけておらず、ドラえもんと共同生活も始まっていない。これは小学1年に上がる前日まで続いている。
するとのび太とドラえもんの実質的な出会いは小学校に入って10箇月近く経過した小1の冬休み以降である。

「ぼくの生まれた日」の雑誌掲載当時、のび太は1962年8月7日生まれであった。こののび太は1970年1月で小1である。

では、のび太が1963年以降に生まれた場合、1970年1月で何歳だったか考えてみる。
1963年8月7日生まれののび太は1970年1月で幼稚園年長組。満6歳。70年4月から小1。
1964年8月7日生まれののび太は1970年1月で幼稚園年中組。満5歳。

てんコミ第2巻「ぼくの生まれた日」ではのび太が1964年生まれに変更されている。この場合、1970年1月と2月でのび太はまだ満5歳。幼稚園児だったことになる。
のび太が小学生になってからドラえもんと出会ったとしても、小学校進学は1971年4月なので、ドラえもんと出会った正月は1972年以降になる。

1965年8月7日生まれののび太は1970年1月で幼稚園年少組。満4歳。
1966年8月7日生まれののび太は1970年1月で満3歳。春から幼稚園。
1967年8月7日生まれののび太は1970年1月で満2歳。
1968年8月7日生まれののび太は1970年1月で満1歳。
1969年8月7日生まれののび太は1970年1月で生後5箇月。

このあたりになると原作第1話ののび太とギャップがありすぎるだろう。原作第1話ののび太の外見は小学生。どう観ても幼稚園年少組以下とは思えない。

アニメの映画『のび太の恐竜』ののび太が1980年3月で小学5年生だったとすると、1979年8月7日で11歳、こののび太は1968年生まれである。1980年4月で小5であれば1969年生まれにずれる。

そして1970年8月7日生まれののび太は1970年1月当時、まだ生まれていなかったことになる。
また、1970年生まれだと、2006年で26歳、2008年で38歳。
原作におけるのび太の両親の年齢は36歳から38歳。21世紀にはのび太の両親が70年代生まれになっているわけだ(下注釋)。

前後一覧
2010年8月 8/14

関連語句
1964年 のび太 1970年代 のび太 のび太 松田聖子 のび太 旧初代


注釋
のび太の親が70年代生まれになったのはもう少し早い。2007年のアニメ「ママのダイヤを盗み出せ」ではのび太の母・玉子が1975年ごろに生まれたことになっている。玉子が7歳のとき、松田聖子のサイン会があって、「赤いスイートピー」が流れていた。これが1982年の曲なので、玉子が82年で7歳とすると75年生まれになる。この玉子は1985年で10歳、95年で20歳、2005年で30歳、2007年の放送当時で32歳だったことになる。
松田聖子は1962年3月10日生まれで、1961年8月生まれののび太と同学年、1962年8月生まれののび太と同い年であるが、その松田聖子が2007年のアニメではのび太の母親より13歳年上になっているわけだ。
Google(画像)松田聖子 ドラえもん


参照
1970年代初め、1月と3月ののび太(1月と3月混合)
藤子作品関連(2010年7月~8月~)