『ビッグコミックオリジナル』2008年3/20号
No.835
春のオープン戦で、あぶさんが広島の小林幹英コーチにアドバイス。
あぶさんと篠田順平(1985~)の対決。
篠田が生まれた1985年、あぶさんは13年目の選手だったらしい。
すると、あぶさんの1年目は1973年。
あぶさんは三振。あぶさんは当時の王監督に「あの角度のあるストレートを左腕から投げられたら、結構魔球ですよ」との談。
速球でも角度で魔球になるあたり、星飛雄馬にも教えてあげたかった話だ。

 

 

2008年4/5号
No.836
ソフトバンクと楽天の開幕戦。親会社ではIT対決だが、チーム名では鷹と鷲の猛禽類対決。
楽天の監督だった野村克也が門田(おそらく門田博光)と対談。
ここで話は36年前の回想に入る。昭和48年(1973年)1月15日、雪の大阪、中百舌鳥(なかもず)で自主トレ中の野村のもとを岩田鉄五郎があぶさんを連れて来訪。
ベースボールマガジン社『「あぶさん」完全データブック』によると、あぶさんは1972年の11月29日にはすでに南海に入団していたようだ。
なお、「8年前」にあぶさんが甲子園で酒に酔って出場し、優勝が取り消された試合は『データブック』によると1964年8月の大会。
あぶさんがホームラン。野村は「あぶよ、お互い野球は天職…いや、それ以上やのお」。

 

 

 

2008年12/5号
No.852
景虎が阪神TからソフトバンクHに移籍。
桝幸久太郎の話では景虎が中3のとき、当時ホークスの監督だった根本(陸夫)がドラフトにかけて採ろうとしたが、あぶさんと幸子が反対。高3ドラフトで5球団競合の末、近鉄が当たりくじを引き、その後、景虎は近鉄からオリックス、阪神と渡り鳥。

 

 

 

景虎は1981年12月17日生まれ。中学3年だったのは1996年4月から97年3月までで、このとき、ホークスの監督は王貞治。王貞治がホークス監督としてドラフトに参加できたのは、『ドカベン プロ野球編』で王監督が岩鬼を指名した1994年秋から。このとき景虎は中学1年。つまり根本監督は景虎が中1のときから中3の景虎を指名することを決めていたのだろうか。

 

 

 

『データブック』では景虎は1994年に中学入学。『ドカベン プロ編』の山田世代が高3に進級したときだ。このとき監督は根本陸夫。
1995年からホークスの監督は王貞治。96年にダイエーが景虎を1位指名。
1997年、景虎は一番星学園に進学。近鉄から指名されたのは1999年のドラフト。
西暦2000年にあぶさんと父子初対決となった。

 

 

 

2009年4/5号
No.860
巻頭で水島新司と秋山幸二の対談。
秋山「ところで先生、あぶさんは何歳になったんですか??」
水島「61歳。今年の12月で62歳」
と書かれてある。これではあぶさんは1947年生まれになる。
一方、『データブック』では、あぶさんは1946年12月17日生まれ。ここが謎だ。
1946年12月生まれだと、高校3年の夏は確かに1964年。1947年12月生まれなら1964年で高2だったことになる。
あぶさんが2009年のシーズンで引退を表明。この回では阪神との二軍のオープン戦。

 

 

 

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8月 8/10