山田太郎の高校時代、東郷学園の小林真司との対決が「雨天中止」などで描かれなかった点。歴史としては、結果としてそうなったと言うほかないが、作者の意向としては山田と小林の高校での再対決を意図的に避けたように見える。

 

 

いわき東の緒方は山田高1夏(1974年、『プロ編』で1992年)に明訓と対戦、微笑の参加は山田高1秋(1975年、『プロ編』で1992年)。『スーパースターズ編』で2004年当時、緒方と微笑が久々に会ったような描写。

 

 

 

土佐丸の犬飼小次郎は高卒1年目の秋(1977年)にドラフトで南海から指名され、設定上、9箇月後(実際は2年後の1979年)の夏に明訓が弁慶に敗れたことで南海入り。
『プロ編』で小次郎は1993年秋にダイエーホークスから指名され、94年開幕直前の紅白戦にすでに参加していたらしい。このとき、実際は小次郎はまだ土佐丸の監督で、山田太郎にとって高1から高2になる春の選抜大会、犬神のトリック投法で明訓を苦しめていたはず。

 

 

 

もっとも明訓編初期は1977年から78年、『プロ編』は93年から94年の話で、別の世界の可能性もある。

 

 

 

この山田高2春選抜、明訓と土佐丸の試合で、殿馬が打った打球を犬神が捕球、ラッキーゾーンの金網にしがみついてこらえた。作中では犬神がラッキーゾーンに落下した時点で本塁打だったが、こらえていた時点でアウトではなかろうか。そして『スーパースターズ編』で犬飼武蔵の打球を義経光が捕ったとき、審判の説明で「1978年までは本塁打、79年からアウト」とのこと。

 

 

 

すると作品で描かれた山田高2春選抜、明訓×土佐丸の試合は1978年以前。ラッキーゾーンがあったから92年以降はありえない。『プロ編』山田の高校入学は92年、高2上の進級は93年。
『プロ編』における1993年春の山田高2春選抜大会、土佐丸戦ではラッキーゾーンは存在せず、殿馬の打球は犬神が捕った時点でアウトか、完全にスタンドに入ったかいずれかだったのだろう。また、犬飼小次郎はすでにダイエーホークスに入っていて、監督は別人だったか?

 

 

 

岩鬼の悪球は「自分に向かってくるボールへの闘争心」と説明されたこともあれば、外角でも高めでも悪球が絶好球という設定もあり、少年時代に敬遠され続けたので高めの球しか打てなくなったとの説もある。それでいて緒方のフォークも打てる。また、ボールが見えない場合、岩鬼がそれを打てるかどうかも状況によって変る。いわき東との試合ではボールが見えない状態で打ち、白新との試合でも岩鬼が目を閉じて打ったことがあるが、別の試合で岩鬼が太平監督の眼鏡をかけたときはボールが見えず打てなかったと思う。

 

 

 

あぶさんの生まれた年は1946年と1947年の2種類の可能性がある。

 

 

 

『野球狂の詩』に時間軸上の矛盾が多い。

 

 

 

千藤光は1973年夏で高校3年として甲子園大会に出場したが、同じ年の夏にプロ1年目の球宴に出場。球宴は高校野球の地区予選の時期だから全国大会より前になる。

 

 

 

日下部了は1973年秋に新潟西高校3年で、1年後の1974年秋ではすでに早稲田大学4年。富樫平八郎がメッツ二軍で4年過ごした時間は、作中の時代設定では1年足らず。

 

 

 

もし、日下部了の高3時代が1971年だったとすると、岩田鉄五郎は48歳。鉄五郎初登場の「よれよれ18番」は鉄五郎50歳の年であった1973年の話なので、「ウォッス10番」「ガッツ10番」はそれより2年前の話になる。その場合、「10番」シリーズで東京メッツにいた選手の中には「よれよれ18番」以降に登場したキャラクターも多いので、どうしても時間が逆流していることになる。

 

 

 

1974年秋、日下部が指名されてから「半年後」の春、富樫と日下部が一軍に上がったとき、時代は半年前の1974年春に戻っていた。富樫初勝利のときの阪神の監督が相変わらず金田正泰であった。

 

 

 

火浦健は1972年2月ですでに高校生だったので入学は1971年春以降。双子の弟の王島大介は1973年春で卒業のはず。火浦のプロ1年目、既に唐部と丘がメッツにいた。火浦と大島のプロ1年目が唐部、丘の入団した74年以降とすれば、大島が阪神から1位指名されたのは73年秋で、すでに大島は高校を卒業して半年たっていたことになってしまう。
└→『野球狂の詩』における時間停滞、逆流年表

 

 

 

1954年5月5日生まれの藤村甲子園は、長嶋茂雄と対戦するためにプロに入ったはずだが、南波高校からすぐにプロ入りせず、大学野球に進んだのは無駄であった。大学を中退しなかったら藤村が大学在学中に長嶋が引退していた。
なお、藤村甲子園と同学年の場合、1970年4月高校入学、1973年3月高校卒業、大学に現役合格したとすれば1977年3月に大学卒。

 

 

 

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2010年8月 8/4