必殺シリーズの歴史では、『必殺仕掛人』(1972年~翌年)の西村左内が最初にバチを使った仕掛人で、刀を奪われた状況で使った。
のちに『暗闇仕留人』(1974年)で糸井貢が三味線のバチを使い、これが『必殺からくり人』における山田五十鈴に受け継がれ、『仕事人』での元締め役になる。
もっとも、時代設定では『仕掛人』が推定寛政末、その後、山田五十鈴が出演した『からくり人』は天保時代の話で、『仕事人アヘン戦争へ行く』も天保後期であり、『仕留人』が黒船来航時である。
また、おりくが登場した『ブラウン館』は幕末でもそのまた末期である。

1789年 寛政元年
1798年 小杉十五郎が松平定信の用心棒に(2005劇画『仕掛人藤枝梅安』
寛政末~化政 藤枝梅安の仲間・西村左内がバチを使用(1972『必殺仕掛人』、推定)
1818年 文政元年
1830年 天保元年
1832年 ┐鼠小僧処刑
___ ├からくり人の花乃屋仇吉がバチを使用(1976『必殺からくり人』)
1839年 ┘蛮社の獄
1842年 アヘン戦争終結
___ ┐おりくが三味線のバチを、勇次が糸を使用(1983『仕事人アヘン戦争へ行く』)
___ ├勇次が糸を使って裏稼業(1984『仕切人』、推定)
1843年 │┬おりくが三味線のバチを使用?(1985『意外伝』)
1844年 │┘高野長英脱獄
___ │からくり人の泣き節お艶がバチを使用(1977『新からくり人』)
___ │鳥居耀蔵失脚
___ │太棹の新之助が仕込み三味線を使用(1990『江戸警察』)
1849年 │北斎没。出雲のお艶が仕込み三味線とバチを使用(1978『富嶽百景』)
1849年 │┐北斎没。
___ │├勇次が三味線の糸を使用(1996『主水死す』)
___ ││高野長英没
1851年 ┘┘水野忠邦没(『主水死す』)
1853年 ┐黒船来航
___ ├糸井貢が三味線のバチを使用(1974『暗闇仕留人』)
1854年 ┘糸井貢没、仕留人解散。日米和親条約締結
1866年 慶喜が将軍に。おりくがバチを使用?(1985『ブラウン館』)

『必殺からくり人』でも『仕事人』でも、山田五十鈴が演じた仕事人はいずれも三味線弾きで、三味線のバチまたは仕込み三味線を使った。
山田五十鈴が演じた仕事人では「おとわ」もいて、『必殺仕事人』(無印)に登場したが、時代設定は不明。
文政年間の場合、1819年に主水が表彰された時期(『仕事人V旋風編』)より前なら1818年から1819年1月まで。
天保後期の場合、『仕置屋』と『仕事人アヘン戦争へ行く』の間なら1841年末から1842年まで。
幕末の場合、『仕留人』と『大老殺し』の間なら1854年から1858年までである。

『アヘン戦争』『意外伝』で主水、おりくが活動していたのは『オール江戸警察』で描かれた天保の改革の最中で、おりくたちが直接、改革の被害者になった描写はないが、『新からくり人』の一座が鳥居耀蔵失脚の直前に江戸から追放されるという描写があった。

『仕切人』に関してはアヘン戦争終結の1842年から主水が水野忠邦を暗殺して爆死した1851年までと推定できる。平賀源内が登場するが、これは『アヘン戦争』でも出てくるので、天保にも源内を名乗る別の洋学者がいたと解釋していいだろう。長英が源内を名乗っていたとすると長英は1850年に没しているので、『仕切人』はその前の話になる。
『仕切人』も『仕事人』同様、複数の時代に分散しているとすれば、源内登場の時代だけ、1779年より前だったとも考えられる。

インターネットでは『仕切人』の作中の占いブームが辛亥の年とあり、1911年(明治44年)の辛亥革命の年から60年前として1851年、さらにその前は1791年(寛政の改革の最中)、1731年(享保の改革の最中)、1671年(家綱が将軍で光圀が水戸藩主だった時代)、1611年(徳川秀忠の時代で家康が大御所)である。
1791年は源内没後11~12年、1731年では源内は数え年4歳の子供、源内を無視すると1851年の可能性が高い。


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