【弐掛】

『新仕事人』で秀が裏稼業を始めたのが作中における「10年前」である。
ただ、『主水死す』における秀は主水と組んで長くなっており、アヘン戦争終結の年から北斎没年まで7年組んでいたとすると仕事人歴17年になる。
『主水死す』冒頭は葛飾北斎が没した1849年で始まる。この時点で10年前は1839年で蛮社の獄のとき、からくり人が仕掛の天平を残して壊滅した年。『仕事人大集合』で天平は虎の元締めとともに殉職したが、それを秀が見届けることとなった。

『アヘン戦争へ行く』の時代設定は1842年で、10年前は1832年。鼠小僧次郎吉が処刑された年で、『仕事人・激突!』によると山田朝右衛門が斬首したらしい。
この翌年、1833年に秀が出張仕事をしていた。すると『まっしぐら!』の秀が裏稼業1年目だったのだろうか。それにしてはすでに裏稼業に慣れているように見えた。

逆に『まっしぐら!』の時代設定である1833年から10年前は1823年。翌1824年に徳川家定と捨蔵(『主水死す』に出てきた家定の双子の妹で男装の女藝人)が生まれている。
1823年から3年さかのぼると『裏か表か』の時代設定。

『裏か表か』の時代設定である1820年から10年さかのぼると1810年。
これは主水死す』の舞台となった1850年前後から40年前になる。『主水死す』での秀の年齢が40代に入っていたとしても、1820年当時はまだ10代で、『裏か表か』の秀は別人であろう。

次に秀の年齢を1820年で30歳、1830年で30歳、1840年で30歳の3種に限定してみる。
└→【仕掛】

この場合、1820年で30歳の秀は『裏か表か』に登場。
1830年で30歳の秀は『まっしぐら!』に登場。
1840年で30歳の秀は『アヘン戦争』『香港・マカオ』に登場し、1850年で40歳になったときが『主水死す』に登場した秀と考えられる。

こうなると『まっしぐら!』の秀は1830年で30歳、1840年で40歳なので、中村主水の年齢を20年間隔で40歳基準にした場合の天保~嘉永の主水(1840年で40歳)と同い年になる。
また、『裏か表か』の秀は、主水が藤田真帆とより5歳年下とした場合の『主水死す』の主水(1831年で40歳→1851年で60歳)と1歳差でほぼ同世代である。

この分け方だと『主水死す』の秀は『アヘン戦争』『香港・マカオ』の秀と同一人物だが、『主水死す』の主水は『裏か表か』の秀か『まっしぐら!』の秀と世代が近かったことになる。

ここでは『主水死す』の秀を40歳前後としたが、もし、『主水死す』の秀が1850年で30歳だとすると、この場合、秀は葛飾北斎死没の時点で29歳になる。1840年で20歳、1842年で22歳、『アヘン戦争』の仕事は裏稼業を初めて2年後になる。また、この場合、秀は1821年で1歳なので、1860年で40歳とした場合の「幕末の中村主水」と同い年だったことになる。
└→【伍掛】

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