主水の年齢と西暦の1の位が等しいと假定して、1820年で40歳の場合を「文政の主水」と定義し、それで文政の主水の年齢を考えると、『旋風編』では39歳、『裏か表か』と『仕事人2007』では40歳、『仕事人2009』では41歳、『春雨じゃ、悪人退治』では48歳から49歳になる。

もっとも『必殺仕事人2009』放送のあと、『仕事人2010』(假のタイトル)の撮影に入るところで藤田まことが故人となり、『2010』で主水がどういうう位置づけになるかよくわからない。

『春雨じゃ、悪人退治』で描かれた1828年から翌年までのシーボルト事件のとき、文政の主水は相変わらず南町奉行所の定町廻り同心だった。
『仕事人2007』『2009』はそのシーボルト事件から8年前、1820年から1821年までの話である。そのとき、主水はすでに定町廻りから書庫番、続いて自身番に異動になった。

実は『必殺仕事人V旋風編』でも主水は1819年当時、長屋の番所に勤務していたので、また、定町廻りに戻った可能性もある。
ただ、『2007』~『2009』の主水は「あと2~3年でお拂い箱」というような台詞を言っていた。

すると文政の主水も2種類いた可能性がある。

中村主水が作品放(放映)送当時の藤田まことより5歳年下とした場合の基準で考えてみる。
『裏か表か』は1986年の映画で、藤田まことは53歳。中村主水は1820年で48歳。
『旋風編』で時代設定が1819年と指定されたのは1987年放送の作品のようで、この年で藤田まことは54歳。藤田まことが53~54歳で、主水は1819年48~49歳。1820年で49~50歳だ。
『裏か表か』の主水と『旋風編』の主水は世代的にほとんど変わらない。

『春雨じゃ、悪人退治』は1990年の作品で、主水はこの年で56歳(放送当時は55歳)であった。
主水が1828年で51歳だったとすると、1820年で43歳。
少し年が離れているが、これは『春雨』が『旋風編』から3年後の作品なのに時代設定が9~10年後だったからだ。
『春雨』の主水は作中では『旋風編』等の主水より年取っていたが、生まれたのが西暦何年かで考えると、『春雨』の主水のほうが「年下」になってしまった。

それでも『裏か表か』『旋風編』『春雨』の主水は1820年で40代~50歳前後である。

一方、『仕事人2007』は藤田まことが74歳になった年の作品で主水は5歳年下とすると1820年で69歳。
『仕事人2009』は藤田まことが76歳になった年の作品で主水は5歳年下とすると1821年で71歳。
『仕事人2009』の主水は1820年で70歳。
やはり、『2009』の主水のほうが「年下」になった。
ただ、『仕事人2007』の場合の主水の設定が『2009』で受け継がれていることを考えると、『2009』の主水は1821年で70歳になる。

つまり、1820年で『春雨』の主水が43歳、『旋風編』『旋風編』の主水が48~50歳なのに対し、『2007』『2009』の主水は70歳前後だったことになる。
これでは完全に別人だ。
また、『2007』『2009』の主水が60歳前後の設定だったとしても、『旋風編』の主水より10歳前後年上、『春雨』の主水より17歳は年上である。

つまり、『仕事人2010』の主水と『春雨』の主水は「主水が藤田まことより5歳年下」という基準を愛用することで別人となる。
『仕事人2007』~『2010』の主水が1820年で70歳前後とすると1790年で40歳だから寛政の改革の時代に活動していたわけで、長谷川平蔵や隠密同心と同時代の人物になる。
『仕事人2007』~『2010』の主水が1820年で60歳前後とすると1800年で40歳前後なので、藤枝梅安と同時代の人物になる。

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2010年4月 4/13