主水の年齢が藤田まことの年齢より5歳年下という假説を『主水死す』と『仕事人2007』にあてはめるとどうなるか。
└→中村主水が藤田まことより5歳年下の場合(『主水死す』『仕事人2007』等追加、綜合)

藤田まことは1933年生まれなので、『主水死す』公開の1996年で63歳。主水は58歳だったことになる。
『主水死す』の冒頭で葛飾北斎(1760~)が90歳で没しており、これは1849年のこと。主水がこのとき58歳だったとすると1791年で0歳、数え年で生れたときが1歳とすると1792年生まれである。
遠山景元より1歳年上だ。
『江戸警察』と『意外伝』の間に位置する。
『主水死す』の主水が1849年で58歳だったとすると、20年前は1829年で38歳。シーボルト事件で高橋景保が獄死した年だ。『春雨じゃ、悪人退治』の主水はこのとき、ベテランの仕事人だったが、『主水死す』の主水はこのときに裏稼業を初めて間もない時期だったことになる。
なお、主水の裏稼業のキャリアで主水が38歳だったのは『仕業人』の時期である。

また、『仕事人2007』が放送された西暦2007年当時、藤田まことは74歳。
中村主水が69歳だったとすると、時代設定は1820年なので1752年で1歳になる。
『旋風編』の主水(1819年で49歳)より19歳年上だ。
『仕事人2009』は時代設定が1821年で、作中の主水は『2007』の主水と同一人物である。

『2007』の主水が1752年生まれとすると、長谷川平蔵が火盗改の長官になった1787年で主水は36歳。
長谷川平蔵が没した1795年で主水は44歳。
つまり主水の年齢が藤田まことの年齢より5歳年下だと、『2007』『2009』の主水は寛政の主水であり、『仕事人vs秘拳三日殺し軍団』の主水に近い。

『仕事人vs秘拳三日殺し軍団』は1988年の放送で、藤田まことは55歳。
作中の主水が50歳だったとすると、時代設定が1787年なら主水は1738年生まれ。ついに享保生まれになる。
長谷川平蔵没年の1795年で主水50歳とすれば1745年生まれである。

『2007』と『2009』を別々に考えると、『2009』の主水は『2007』の主水より1歳年下になってしまう。
『2009』は『2007』の2年後の作品で、藤田まことは『2007』で74歳、『2009』で76歳、対応する主水の年齢はそれぞれ69歳と71歳になる。
一方、『2007』の時代設定は1820年(文政3年)2月14日で始まり、『2009』の時代設定は瓦版や人相書き等から判断すると西暦1821年(文政4年)で、前作から1年しかたっていない。
すると、書庫番から自身番に移った藤田まことは2歳年取っているが、主水は1歳しか年を取っていないことになり、自身番に映った段階で主水の生まれた年は1年過去にずれたことになっていまう。

藤田まことより5歳年下という假説を採用すると、『旋風編』『裏か表か』の主水、または『春雨じゃ、悪人退治』の主水は世代的に近く、『仕事人2007』『2009』の主水は世代的に離れていて、別人になる。もし、『仕事人2010』で主水が「故人」になっていたとしても、藤田まことの年齢を基準にすれば、矛盾は生じない。

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2010年4/11