『忠臣蔵』の事件は1701年の松の廊下に始まり、1703年の大石内蔵助ら赤穗浪士(=赤穂~)47名切腹で終わった。
1703年は1603年の江戸幕府成立から100年という節目であったが、それが事件の始末で終わったというのも皮肉な結果である。

水戸光圀が没したのは当時の和暦で元禄13年(1700年)12月6日だが、今の暦で1701年1月14日。
吉良上野介が没したのは元禄15年(1702年)12月15日、今の暦で1703年1月31日。

ちなみに幕末の王政復古は当時の暦で慶応3年(1867年)12月9日、今の暦で1868年1月3日である。
江戸幕府が消滅したのは『忠臣蔵』の事件から165年後であった。
『忠臣蔵』の事件は江戸幕府成立から100年後のことだから、江戸時代は265年続いたことになる。

江戸時代では1853年の黒船来航から1868年の明治維新まで15年経過している。
さらに1877年(明治10年)の西南戦争によって、江戸時代から残った反体制勢力が敗れ、明治政府による支配が固まったと言えよう。
『獅子の時代』の最終回では1884年の秩父事件もあったが、これは明治政府の時代になってからの話と解釋していいだろう。

一方、江戸時代初期でも徳川幕府が戦国時代から残る反徳川勢力を破るまで10年余り経過している。
1615年の大坂夏の陣は1600年の関ヶ原の合戦から15年、これは黒船から明治維新までの歳月と一致する。
また、1603年の江戸幕府成立から1615年の大坂夏の陣まで12年である。

1618年には欧洲で30年戦争がはじまり、ケプラーが惑星の運動に関する第3法則を發表した。