1972年4月15日誕生だから、2010年4月15日で38歳になるはずであった。

今のプロ野球は選手やコーチの体調管理などきちんとしているはずだが、小林繁も含めて、そう都市を取っていない人が急に亡くなるのはどういうわけか。

球界全体で考えるべきであろう。
故人がどういう人だったか想い出話を並べても何の意味もない。

一部スポーツ紙では「キムタク重体」と大きな文字の見出しで、小さく「巨人コーチ」としてあった。
言うまでもなく、SMAPの木村拓哉と読みが同じである。

シナ語圏では「木村拓哉」はMucun Tuozaiで、「木村拓也」はMucun Tuoyeであり、最後の音節が違うので混乱は生じない。
むしろ、どちらもKimura Takuyaと書くしか方法がない英語などのほうが問題である。

「斎藤佑樹」と「斉藤由貴」は「ゆ」の長短の差だがどちらもSaito Yukiになるだろう。
「政樹」がMasakiで、「正章」がMasaakiという場合と違う。

現時点で日本人の名前で読みが同じで漢字が異なる名前をアルファベットで書き分ける方法は何も考えられていない。
「山西省」は英語でShanxi Province、「陝西省」はShaanxi Provinceというように声調の違いを表現できない代わりに「陝西」でaを2個にする方法が採られている。

一方、「豊田」は車の会社ならToyota、社長の名ならToyodaであり、中国ではFengtianで同じだ。
また「奉天」と「豊田」だと声調だけの違いになる。

固有名詞の区別をするには複数の言語によって言い分ける必要がある。

さて、巨人軍ではかつて黒沢俊夫という選手が現役中に病気で急死している。
黒沢俊夫選手の背番号4は巨人軍の永久缺番となっており、『侍ジャイアンツ』で番場蛮が背番号4をもらったとき、作中で川上監督が説明していた。
歌手の黒沢年雄はかつて本名である黒沢年男を藝名にしていたが、西暦2000年に「年雄」に改名したらしい。
このケースも有名な藝能人と読みだけ同じ選手であった。

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2010年4月 4/7