徳川家歴代将軍11~15【人物】

○第12代目・徳川家慶(~いへよし、1793~1853、在職1837~53)
彼の時代は天保と幕末前夜。
蛮社の獄(1839年)により、鳥居耀蔵は蘭学者から恨まれ、からくり人から命を狙われる。
1840年から42年までアヘン戦争。

水野忠邦は天保の改革(1841~43年)を断行したが、不評。南町奉行の鳥居甲斐守が天保の改革を進めたが、北町奉行の遠山金四郎(景元=かげもと)と対立関係になったらしい。
鳥居は三味線弾きから襲われ、水野忠邦は「仕事人狩りもほどほどにせんと命がいくらあっても足りんぞ」と忠告。鳥居は自分の前任者・駿河守が仕事人を利用する可能性を指摘。

鳥居は失脚するが、一説によると、駿河守の依頼によって仕事人・中村主水(~もんど)が鳥居奉行を暗殺したらしい。幕府は鳥居の死を隠蔽し、別人を仕立てて明治時代まで幽閉。高野長英が脱獄し、からくり人一座に入って東海道五十三次の旅をしていた。
葛飾北斎が没した1849年、中村主水が次期将軍・家定の双子の妹を發見したらしい。主水は小屋ごと爆死したかに見えたが、死んだかどうか不明であった。
家慶は黒船来航の年に没した。

『主水死す』に登場した捨蔵は家慶のむすめに相当する。1851年以降、捨三は千代と改名したようだ。
松平右近は家斉の弟なので家慶にとって叔父に相当する。
『照姫七変化』の照姫は家斉のむすめなので、家慶にとっては姉か妹である。
『葵の暴れん坊』の源九郎は家慶の弟らしい。

家慶は1793年生まれであるから遠山景元(1855年没)、大塩平八郎(1837年没)と同世代だったわけだ。
千葉周作(1793または1794~1855)は同い年か1歳年下。
水野忠邦(1794~1851)は1歳年下。
鳥居耀蔵(1796~1844失脚~1873)は3歳年下。
水戸徳川斉昭(1800~1860)は7歳年下。

確か『遠山の金さん』で将軍の御落胤話の話を観たことがある。その御落胤は女だったわけだが、家慶の妹かむすめと思われる。
1989年の「江戸城大騒乱!将軍とおんな天一坊」であろう。

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