いい加減、ほかに人材を探した方がいいだろう。
光圀には水戸で『大日本史』編纂をする仕事があり、作中では南北朝時代まで終わって、綱吉に献上していた。
光圀が水戸を留守にしなくてもいいシステムを構築できなかった綱吉に責任がある。
光圀が旅などしないで水戸にとどまり、葵の紋など出さずにすむような日常がもっとも自然である。
光圀には水戸で『大日本史』編纂をする仕事があり、作中では南北朝時代まで終わって、綱吉に献上していた。
光圀が水戸を留守にしなくてもいいシステムを構築できなかった綱吉に責任がある。
光圀が旅などしないで水戸にとどまり、葵の紋など出さずにすむような日常がもっとも自然である。
各藩には藩主もいたのに、一々水戸や江戸から派遣された徳川家の人間が干渉していては、藩主の面目は丸つぶれで、結局、徳川幕府による統制を強化するだけの結果であっただろう。
柳沢吉保は江戸城では光圀と対立する関係にあったが、光圀が年中、日本各地を歩き回っているので、幕府は柳沢の想いのままだった可能性がある。
むしろ柳沢は光圀を関東から引き離すために、日本各地で問題を起こすよう工作していたのではないか。
綱吉も何かあると必ず光圀を派遣し、他の人材に任せることがほとんどない意味では、吉保の味方に近いであろう。
むしろ柳沢は光圀を関東から引き離すために、日本各地で問題を起こすよう工作していたのではないか。
綱吉も何かあると必ず光圀を派遣し、他の人材に任せることがほとんどない意味では、吉保の味方に近いであろう。
政治家や官僚の腐敗、税金の無駄遣いが問題になるが、そこで「今の世の中に水戸黄門や遠山の金差がいたらなあ」などと思う人がいたらそれは安易である。
時代劇で水戸光圀がやっている旅こそ「税金の無駄遣い」の最たるものではないか。
あの路銀はどこから出ているのか。年貢を金に変えたものであれば、いくらかかるか予想がつかない意味で悪質である。
時代劇で水戸光圀がやっている旅こそ「税金の無駄遣い」の最たるものではないか。
あの路銀はどこから出ているのか。年貢を金に変えたものであれば、いくらかかるか予想がつかない意味で悪質である。
柳沢吉保は1688年に将軍側用人、1694年に老中格になった。芭蕉没年であるから、芭蕉が生きていたときの話を描いた第40部では吉保は老中格になる前か、なったばかりということだ。
実際に吉保を名乗ったのは光圀が没した翌年の1701年で、1709年に綱吉が没したときに吉保も隠居。側用人になってから21年後だった。
最終的に光圀は、吉保が権力を握っていた20年ほどの時期の半分だけ、水戸を出たり、水戸に戻ったりしていただけということになる。
実際に吉保を名乗ったのは光圀が没した翌年の1701年で、1709年に綱吉が没したときに吉保も隠居。側用人になってから21年後だった。
最終的に光圀は、吉保が権力を握っていた20年ほどの時期の半分だけ、水戸を出たり、水戸に戻ったりしていただけということになる。
光圀は綱吉の「生類憐みの令」を批判して、何枚かの犬の皮を綱吉に献上したことがある。
ドラマで綱吉は光圀の理解者のようにふるまってはいたが、結局は関東から光圀を引き離しておくため、日本各地に問題の種を故意に残していた可能性があり、結局、綱吉もやや吉保側の人間だったのだろう。
ドラマで綱吉は光圀の理解者のようにふるまってはいたが、結局は関東から光圀を引き離しておくため、日本各地に問題の種を故意に残していた可能性があり、結局、綱吉もやや吉保側の人間だったのだろう。
一度、「史実」どおり、光圀が関東地方の中だけを旅するというのは『水戸黄門』で描けないものか。
勿来(なこそ)、水戸、江戸、日光、銚子、鎌倉、熱海といった関東やその周辺だけでもドラマは作れるはずだ。『暴れん坊将軍』など、多くの場合、舞台は江戸だけであり、吉宗が琉球などに行くのは一部の例外だ。『水戸黄門』も水戸と江戸だけに舞台を限定して描いてもよさそうなものである。
例えば白河から箱根までの旅という話でもいいはずだ。
勿来(なこそ)、水戸、江戸、日光、銚子、鎌倉、熱海といった関東やその周辺だけでもドラマは作れるはずだ。『暴れん坊将軍』など、多くの場合、舞台は江戸だけであり、吉宗が琉球などに行くのは一部の例外だ。『水戸黄門』も水戸と江戸だけに舞台を限定して描いてもよさそうなものである。
例えば白河から箱根までの旅という話でもいいはずだ。