『ドラえもん』の映画は4月に入っても上映されている。
2010年3月まで小5ののび太は1998年生まれで、映画公開の時点で11歳7箇月。
2010年4月から小5ののび太は1999年生まれで、映画公開の時点で10歳7箇月。

映画の中ののび太は3月31日から4月1日になった段階で自動的に1歳年下になるのだろうか。
そうなると『パラレル西遊記』が1988年3月から4月まで公開されたと假定すると、のび太は1988年3月のときは
1976年生まれで、1988年4月に入った段階で1977年生まれに変更されたことになる。

同様に『のび太の日本誕生』が1989年の3月から4月まで公開されたとすると、のび太はその年の3月31日までは1977年生まれで、4月から1978年生まれになったことになる。

すると1988年4月の『パラレル西遊記』(公開直後?)ののび太と1989年3月の『日本誕生』ののび太は「同一人物」である。

また、2004年の『ワンニャン時空伝』も3月から4月にまたがっていたとすると、3月ののび太は1992年生まれ、4月になった段階で1993年生まれになる、この1993年生まれのほうが2005年3月の声優交代直前まで小学5年生だったわけだ。

4月1日を舞台にした話では「帰ってきたドラえもん」「化石大発見!」「ハリ千本ノマス」「うそつ機」がある。

『ドカベン』の場合、岩鬼正美が4月1日生まれである。
明訓編が始まった当時の岩鬼は1959年生まれで、2010年4月1日で51歳。
1979年夏に弁慶高校に敗れたときの明訓の岩鬼は1963年4月1日生まれ、2010年4月1日で47歳だ。
1985年に『大甲子園』で青田高校と対戦したときの岩鬼は1968年4月1日生まれ。2010年4月1日で42歳だ。
1991年に新潟明訓と対戦したときの岩鬼は1974年4月1日生まれ、2010年4月1日で36歳。
『ドカベン・プロ野球編』の岩鬼は1977年4月1日生まれ、2010年4月1日で33歳である。

2015年4月1日の場合
明訓編が始まった当時の岩鬼
1959年生まれで、1974年4月~75年3月当時高1、1975年4月1日当時16歳、2015年4月1日で56歳。

1979年夏に弁慶高校に敗れたときの明訓の岩鬼
1963年4月1日生まれ、1979年4月~1980年3月高2、1980年4月1日17歳、2015年4月1日で52歳。

1985年に『大甲子園』で青田高校と対戦したときの岩鬼
1968年4月1日生まれ、1985年4月~1986年3月高3、1986年4月1日18歳、2015年4月1日で47歳。誕生日は桑田真澄と同じ。

1991年に新潟明訓と対戦したときの岩鬼
1974年4月1日生まれ、1991年4月~92年3月高3、1992年4月1日18歳、2015年4月1日で41歳。小林幹英(1974年1月29日~)と同学年。

『ドカベン・プロ野球編』の岩鬼
1977年4月1日生まれ、1994年4月~95年3月高3、1995年4月1日18歳、2015年4月1日で38歳。

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2010年3月 4/1 4/2前後