番場蛮の場合、原作では1970年度で高1であり、1974年の後半戦で急死したとき19歳だったので、1954年度生まれ、誕生日は1954年8月以降になる。江川卓より1歳年上で1年先輩だ。
もちろん、1955年の早生まれも入る。
アニメの番場蛮の場合、番場入団の時代設定が原作より2年ずれているので、そのとき高1だったとすれば1956年度生まれである。

 

 

藤村甲子園は1954年5月5日生まれだから、原作の番場と同学年で生まれた年も同じ。
なお、明訓編初期の山田太郎は1958年5月5日生まれで、藤村甲子園より4歳年下。『ドカベン・プロ野球編』の山田太郎は1976年5月5日生まれで藤村より22歳年下であり、『プロ編』の山田が18歳になった1994年5月5日で藤村は50歳だったわけだ。

 

 

 

1954年度生まれは1970年度で高1、1973年春から大学、1977年春で大学卒である。

 

 

 

原作の番場は高校を第1学年で中退し、プロ4年目となる1974年まで投げた。高校を中退しなければ1973年3月で高校卒、1974年は大学2年または高卒後のプロ2年目になっていたところだ。

 

 

 

藤村甲子園は1973年3月に南波高校を卒業したものの、東京大学に入り、中退して阪神に入って1974年に長嶋茂雄と対戦し、その後、数年以内に引退したようである。
藤村が甲子園の職員になっていた1982年から1985年までの間、藤村より1年後輩の江川卓がまだ現役投手であったことを考えると、藤村も投手生命が短かったことがわかる。

 

 

 

それに藤村甲子園の場合、現役時代の長嶋と対戦するのを目標にしながら、長嶋引退の前年に高校を出てすぐに阪神に入らず、大学野球にいたのは誤算であった。

 

 

 

番場蛮は巨人を倒すのが目的だったのだから、彼は高校卒業後の川上V9の時期、または大学野球を終えてから中日や阪神に入って長嶋巨人と闘ってもよかった。
一方、藤村甲子園のほうこそ、現役時代の長嶋と対戦するのが夢だったのなら南波高校など1年で中退して阪神で4年投げて長嶋と対戦してもよかったのである。

 

 

 

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2010年3月 3/28 3/30