生まれた年度で年齢と学年の変遷(推移)を観ていると、星飛雄馬、番場蛮、藤村甲子園の経歴が特殊だったとわかる。

 

 

星飛雄馬はプロ野球編の場合、1951年度生まれになる。新浦壽夫(1951年5/11~)が同学年で生まれた年も同じ。1952年の早生まれも同学年なので、太田幸司(1952年1/23~)、山下大輔(1952年3/5~)も同学年である。

 

 

 

新浦の経歴は少し特殊だが、飛雄馬が右投手として復帰する直前、長嶋巨人で登板し、何度も打たれていたことが『新巨人の星』で描かれている。
太田幸司は1970年3月に高校を卒業し、近鉄の投手としてオープン戦で星飛雄馬と対戦した。
山下大輔は1974年3月に大学を出て、大洋ホエールズの選手となり、東京メッツの岩田鉄五郎と対戦。
飛雄馬も高校を中退しなければ太田と同期、大学野球を4年やったとしても山下大輔と同期だったわけだ。

 

 

 

1967年秋に巨人二軍に入った飛雄馬が、左腕投手時代にプロの一軍で投げていた1968年春から1970年秋ごろまでの時期は、彼と同学年の人たちにとっては高2、高3、大学1年(または高卒1年目)の3年間であった。そのあとは大学卒業に当たる時期の2年後まで失踪し、それからプロに復帰。
一方、1955年5月25日生まれの江川卓は作新学院高校、法政大学で投げ、大学を卒業して1年後の1979年春から巨人に入った。
右腕・星は江川と似た経歴だったわけだ。
なお、江川が法政大に入った1974年では『ドカベン』の山田は高校1年で、5年後、江川が巨人に入った1979年には山田はまだ高校2年であった。

 

 

 

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2010年3月 3/28 3/30