1974年、山田太郎が明訓高校に入った。この山田太郎は1958年5月5日生まれのはず。
また、てんとう虫コミクス『ドラえもん』第2巻の「ぼくの生まれた日」におけるのび太は1964年生まれ。、1974年春で小4の9歳、同年8月7日で10歳である。

ただし、「ぼくの生まれた日」の雑誌初出は1972年で『ドカベン』連載開始のとき。当時、山田太郎は中2であった。それでのび太は1962年生まれであった。
1970年の正月で小学生になっていたのは1962年生まれ以降である。

『ドカベン』が山田の高校時代を描いているとき、山田太郎は高校生、山田サチ子と野比のび太は小学生であった。

1964年生まれののび太が16歳になったのは1980年、18歳になったのは1982年。
『大甲子園』における山田世代高3は1982年から1985年までであるから、1974年で10歳ののび太は『大甲子園』の山田世代になる。

1985年、『大甲子園』の山田世代は高3で18歳。「ハリーのしっぽ」ののび太は1985年で小学生、10歳前後だった。
1985年で10歳ののび太が18歳の高3になったのは1993年。『ドカベン・プロ野球編』の山田より1歳年上で、『プロ編』の土井垣より1歳年下だ。

小学館のてんコミ『ドラえもん』第2巻でのび太は昭和39年(1964年)生まれで、秋田書店の少年チャンピオン・コミックス『ドカベン・スーパースターズ編』第29巻収録の「俵と白球」で山田太郎は昭和51年(1976年)生まれになっている。
山田太郎がのび太より12歳年下になってしまった。

もっとも、『ドカベン・スーパースターズ編』が始まった2004年、山田太郎は28歳で、『ドラえもん』のほうは『ワンニャン時空伝』を春に公開した年で、のび太は小5、11歳のままであった。
つまり、山田世代は『プロ野球編』から1976年生まれに固体されているのに対し、のび太は常に小学生である。

1974年、『ドカベン』の土井垣は初登場で高校3年だったが、『プロ編』の土井垣は1974年7月に生まれた。
1964年生まれののび太は1974年度で小4、1975年度で小5、1976年度で小6、1977年3月で小学校を卒業した。「りっぱなパパになるぞ!」は1977年『小六』3月号掲載。
原作「りっぱな~」ののび太が1977年3月で小6であれば、てんコミ第2巻「ぼくの生まれた日」ののび太と同一人物ということになる。

小学館てんコミ「ドラえもん」2巻でのび太は昭和39年8月7日生まれ。秋田書店の少年チャンピオンコミックス「ドカベンスーパースターズ編」29巻で山田太郎は昭和51年5月5日生まれ。単行本だけ見るとのび太がドカベンよりも一回り年上だ。
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