山田&のび太世代(1976年度生まれ)

『プロ野球編』の山田、岩鬼が生まれた1976年から77年までの時期、『ドカベン』明訓編では山田たちにとって高1秋の県大会から関東大会、さらに土井垣が指名されたドラフトを迎えた時期であった。『プロ編』の岩鬼が生まれた1977年に王貞治が756号の本塁打を記録している。

 

山田太郎は10歳でバス事故に遭い、それはサチ子にとって2歳のときであった。『俵と白球』で太郎は小学4年に上がる寸前の春休みにこの事故に遭ったが、太郎の誕生日は5月5日なので、事故当時、太郎は満9歳で、ただし9歳と10箇月か11箇月、10歳に近い9歳であった。
『プロ編』の太郎が小学校で相撲を取っていたのは1年から3年までの時期で、これは『大甲子園』の山田太郎たちが甲子園で戦っていた時期とほぼ重なる。

 

この世代が10歳になった1986年、『のび太の鉄人兵団』公開。
『ドカベン』明訓編初期と『ドカベン・プロ野球編』の時代の違いは『ドラえもん』の連載開始直後と『鉄人兵団』『パラレル西遊記』の関係に近い。

 

インターネットで調べると、里中智は2月17日生まれ、殿馬一人は1月2日生まれで、早生まれである。
『ドカベン・プロ野球編』では里中、殿馬、岩鬼は1977年生まれになる。

 

微笑三太郎は6月15日生まれらしいから、山田太郎(5月5日生まれ)や土井垣将(7月11日生まれ)と同様、「~年生まれ」と「~年度生まれ」の数字が一致する。

 

『大甲子園』の山田世代は1985年度で高3とした場合、山田は1967年5月5日生まれ、岩鬼は1968年4月1日生まれになり、岩鬼は桑田真澄と生年月日が同じである。
『新潟明訓対神奈川明訓』の山田世代は1991年度で高3であり、山田は1973年5月5日生まれ、殿馬は1974年1月2日生まれで、小林幹英(1974年1月29日~)と生年月日が近い。
『ドカベン・プロ野球編』の場合、山田太郎は1976年5月5日生まれ、微笑三太郎は同年6月15日生まれ。城島健司が同年6月8日生まれで山田と微笑の間に入る。

 

山田太郎は5月生まれという点ではのび太世代の源静香と誕生日が近い。
また、ネットの資料が正しければ、微笑三太郎は誕生日が剛田武と同じで、殿馬はスネ夫と同じく2月生まれになり、肝付兼太が殿馬とスネ夫の声を担当したのはなんとも奇遇。
土井垣が7月生まれ、のび太が8月生まれと続く。

 

のび太と誕生日が近い野球選手では古田敦也がいる。古田は1965年8月6日生まれ。広島に原爆が投下されてから20年後に生まれたわけだ。
のび太の誕生日は8月7日なので1日違いである。なお、1965年度生まれであれば、1975年で10歳であり、てんコミ第9巻が出た時期の小4ののび太がこの世代である。さらに高校3年だったのは1983年度なので『大甲子園』の時代の山田世代に相当する。

 

2011年の『新・のび太と鉄人兵団』の監督を担当した寺本幸代氏は1976年2月生まれらしい。
└→『新・のび太と鉄人兵団』の寺本幸代監督

 

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