『龍馬伝』で近藤正臣が演じている土佐藩主・山内容堂は1827年生まれで、生年を陰暦で解釋すると西郷隆盛と同い年だったことになる。
山内容堂の没年は1872年(明治5年)で廃藩置県の翌年であり、同世代の西郷隆盛は1877年(明治10年)に西南戦争で没している。

坂本龍馬は陰暦で1835年生まれだから山内容堂は龍馬より8歳年上なだけだ。
1853年の黒船来航の時点で龍馬は数え年19歳、山内容堂は数え年27歳であった。しかし、テレビで観る山内はすでに黒船前後で初老に達しているように見える。

福山雅治は1969年生まれだから、8歳年上だと1961年生まれ。千葉重太郎を演じている渡辺いっけいが1962年生まれなので、山内容堂と龍馬の年齢差をそのまま移せば、渡辺いっけいが容堂を演じてもおかしくなかったわけだ。

近藤正臣は1942年生まれ。天保の改革の100年後に生まれたわけだ。
近藤正臣が27歳だったのは1969年。『柔道一直線』に出演していたころの近藤正臣だったら山内容堂にピッタリだったわけだ。
ちなみに1968年にはNHK大河ドラマで『竜馬がゆく』がドラマ化されており、北大路欣也が竜馬(=龍馬)を演じた。山内容堂を演じたのは徳大寺伸らしい。

さらに補足すると、龍馬が数え年で27歳に達したのは1861年、桜田門外の変(1860年)の翌年である。
『龍馬伝』では第11話(第11回)「土佐沸騰」の話で安政の大獄から桜田門外の変に至る時期を描いたようだ。
第12話「暗殺指令」で時代が1861年、そして1862年に移る。いよいよ『JIN-仁-』で南方仁がタイムスリップしてきた時代(1862年以降)に入るわけだ。
徳川家定は1824年生まれなので、山内容堂は家定より3歳年下である。
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2010年3月 3/15