少し前だが『母べえ』を地上波で観た。

『母べえ』を観ると戦争のせいで庶民が貧しくなっており、当時から100年前の天保の改革(下注釋)のように贅澤品が禁止されていた。日本は資源確保のために台湾、朝鮮、満州を併合したのにそれでも貧しくなるとしたら戦争のやり方が間違っていたはずだ。

また『はだしのゲン』を観てわかるように、戦時中は庶民も積極的に戦争を支持していた。負けたから軍部や皇室に責任を押し付けるのは責任逃れである。
それにしても日本は五輪に関しては何度負けても挑戦するのに、なぜ大東亜戦争だけは負けたから無意味という短絡的な結論になるのか。それなら関ヶ原でも日清戦争でも負けた側の戦争責任を考えるべきであろう。

戦争さえなければ平和という考えも「戦後」平和主義の主流だが、戦争の反対は話し合いであり、平和の反対は無秩序である。
戦争がなくても失業者が増え、犯罪や自殺が多い社会と、戦争をやりながらそれで雇用が確保されて治安維持法でとにかく治安が守られている社会とどちらがよかったか。
結局、戦争は雇用確保のためにおこなわれるのではなかろうか。

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2010年3月 3/13

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注釋
天保の改革
1841年から1843年まで。鳥居耀蔵が南町奉行で、中村主水がそこの同心で、仕事人を兼ねていた。
日中戦争が始まった1937年から100年前は1837年、大塩平八郎の乱の年。
欧洲で第2次世界大戦が始まった1939年から100年前は1839年、蛮社の獄があった年。
欧洲第2次大戦の2年目、1940年は皇紀2600年だったが、それから100年前の1840年にアヘン戦争が始まった。

真珠湾攻撃は1941年で、それから100年前は1841年。大御所・家斉が没し、矢部駿河守が南町奉行になったが、1年足らずで鳥居に交代。鳥居の南町奉行就任は当時の暦では1841年(天保12年)末だが、西洋の暦では1842年初めになる。
なお、「終戦」の年である1945年から100年前は1845年、前年に失脚した鳥居が四国丸亀藩に送られ、江戸では遠山景元が南町奉行に就任している。

『母べえ』には笑福亭釣瓶が出ていて、贅澤の取り締まりに反対する男の役を演じていた。
「ぜいたくは敵だ」を「ぜいたくは素敵だ」と言い換えたのも当時の庶民の遊びであった。
鶴瓶は『仕事人vsオール江戸警察』でも天保の改革の時代の仕事人を演じており、まことに奇遇である。


参照
東京大空襲65年