主水の「10代目」は1741年生まれで、長谷川平蔵(1745~1795)と4歳違いであり、鬼平と同時代の人物になる。
「11代目」は1761年生まれで、松平定信(1758~1829)と世代が近い。
「11代目」は1761年生まれで、松平定信(1758~1829)と世代が近い。
『秘拳三日殺し軍団』で鬼平と主水が出会った時代が寛政年間であれば、鬼平は「10代目」または「11代目」の主水に会ったことになる。もっとも、長谷川平蔵に2代目、3代目がいて、同名の子孫が文政以降の主水と出会った可能性もある。
なお、1790年代末になると仕掛人・藤枝梅安が活動をしていた。
「11代目」主水が梅安や小杉十五郎(または西村左内)、音羽屋と同時代の人物だったことになろう。
なお、1790年代末になると仕掛人・藤枝梅安が活動をしていた。
「11代目」主水が梅安や小杉十五郎(または西村左内)、音羽屋と同時代の人物だったことになろう。
「12代目」は1820年で40歳、「文政の主水」であり、ここから江戸後期の主水3人(あるいは解釋によってはもっと多数)の主水の時代になる。
『必殺!主水死す』で「死んだ」主水は「13代目」の主水であり、『必殺仕事人2007』の主水は「12代目」である。『主水死す』では舞台が嘉永年間の黒船前で、北斎と水野忠邦の死去が描かれたが、『2007』の舞台は文政年間。北斎と水野が文政時代に生きていたとしても不思議はない。事実、文政末期を描いた『春雨じゃ、悪人退治』に北斎が登場しているのである。
「13代目」の主水が爆死して2年後、1853年に黒船が来航、「14代目」の主水が仕留人として裏稼業を始めた。これは主水にとって2度目の裏稼業であるから、黒船直前に「14代目」主水は仕置人をやっていたことになる。
なお、作品で描かれた仕置人としての主水は文政時代に活動しており、描かれたのは「12代目」のほうである。
なお、作品で描かれた仕置人としての主水は文政時代に活動しており、描かれたのは「12代目」のほうである。
主水の「X代目」と「X+1代目」を20歳差にしたのは、主水の仕置人、仕事人としての活動時期を30代から40代、おおよそ50歳前後までとして、同時期に30歳の主水と50歳の主水がいると考えたほうが都合がいいからである。もっとも主水が20歳のときに息子がいたとすると劇中の主水にはすでに息子がいないとおかしい。したがって主水はつねに婿養子で受け継がれていたことになる。
ただ、主水が婿養子であったことが明確なのは元禄、寛政、文化・文政、天保~嘉永、幕末の5種類のみであり、丹下左膳の知り合いだった享保の主水が婿養子かどうかも疑わしい。すると江戸時代に主水が14代、14人存在したとして、8人または9人の主水は先代の実子だった可能性もある。