日本で98番目の空港として茨城空港が完成する。
出店しているのが亀印製菓
嘉永5年(1852年)創業というから黒船来航(嘉永6年=1853年)の前の年だ。

『龍馬伝』の第2話「大器晩成」によると、当時、坂本龍馬は江戸行きを決意したが、まず地元の堤防工事を任されていた。
龍馬が最初に江戸に行ったのは翌1853年。

1852年当時、篤姫はまだ薩摩にいたと思われる。
龍馬が二度目に江戸を訪れた1856年、篤姫が家定の正室となり、カゴのまま江戸城の大奥に入ったらしい。

茨城と言えば水戸藩が有名で、『水戸黄門』では水戸と江戸は光圀主從が歩いてすぐ到着できる近所のような感覚で描かれている。
「史実」で光圀が移動した場所は関東と隣接した福島県の勿来(なこそ)、静岡県の熱海(あたみ)を除くと、ほとんどが今の栃木、茨城、千葉、東京、神奈川といった関東地方に限られる。
しかも、実際の光圀は移動にカゴや馬を使ったらしい。

ドラマの光圀は全国旅行の始まりと終わりに江戸に立ち寄るのが普通のようだ。

東京の葛飾には『こち亀』にちなんだ両さんどら焼き(伊勢屋)、さらに「しばられ地蔵」にちなんだ満願どら焼き(えびす製菓)もあり、甘菓子の激戦区のようである。
日本で甘菓子を「スイーツ」などと言うようになったのはいつごろからか。

ちなみ1852年当時、水戸藩主は徳川斉昭(水戸斉昭、1800~1860)であった。
『江戸を斬る』では森繁久弥(=森繁久彌)が演じていた。
水戸斉昭は1800年に生まれたのは光圀(1628~1700)没後100年で生まれたことになる。

一方、『必殺仕事人』の中村主水は1852年、どうしていたかというと、天保~嘉永の主水から幕末の主水までの過渡期であったと思われる。
中村主水が江戸時代開始当時から存在したと假定し、西暦1600年で40歳の場合を「初代」とし、2代目が20歳年下、3代目が2代目より20歳年下とすると、『主水死す』の主水は「13代目」であり、『仕留人』の主水は「14代目」、さらに『仕事人2007』の主水はこの両者より前の「12代目」になる。

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2010年3/10