『必殺忠臣蔵』のとき、藤田まことが「江戸時代のあらゆる時代に中村主水(的な人物)が存在した」とコメントしたらしい。
まず、大雑把に考えても主水は元禄、享保、寛政、そして文化・文政、天保、幕末の6種類の時代に存在したと解釋するのが妥当である。

元禄は『必殺忠臣蔵』、享保は藤田まことが演じた丹下左膳が主水と知り合いという話によるもので、『必殺仕事人・中村主水の秘密』でこのことが紹介された。寛政は『秘拳三日殺し軍団』で主水が長谷川平蔵と会ったらしい一件による。

元禄、享保、寛政で主水がそれぞれ何歳だったがわからない。
まず、中村主水年齢変遷(江戸時代6種類1)では1700年、1720年、1790年でそれぞれ主水が40歳とする。

ただ、これらの3つの時代で主水がそれぞれ50歳だった可能性もある。1700年で50歳、1720年で50歳、1790年で50歳というわけだ。
こちらの可能性については中村主水年齢変遷(江戸時代6種類2)で考えた。

元禄、享保、寛政の主水はそれぞれ対応する作品がほとんど一つで、いつまで裏稼業を続けたが確認できないので、80歳までとした。
文化・文政以降はそれぞれ50歳前後までとし、文化・文政の主水は1820年で40歳として、1829年のシーボルト事件後半、49歳まで、天保~嘉永の主水は1840年で40歳として1851年の51歳まで、幕末の主水は1860年で40歳として1868年、48歳までとした。

江戸時代初期と中期で80歳まで、後期では50歳前後までということで一定していないが、江戸時代につねに主水がいて、それが何歳かを考えるには、これでもいいだろう。

また、主水の年齢を約50歳までに限定し、1700年、1720年、1790年、1820年、1840年、1860年で40歳の場合の年齢を考えてみると中村主水年齢変遷(江戸時代6種類3)になる。
この場合、1730年から1750年まで主水の年齢が表示されなくなる。吉宗から家重の時代である。

次に西暦1600年で40歳(1603年で43歳)の場合を「初代」と假定し、20年間隔で中村主水が江戸時代のあらゆる時代に存在したと考えてみる。
└→中村主水年齢変遷(1600年で40歳の場合を「初代」として20年間隔、江戸初期)

また、寛政の主水が40歳になった年を1780年とし、主水が40歳になった年の10の位を偶数で統一したのが中村主水年齢変遷(江戸時代6種類4)である。

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