江戸時代全般・年表
年表 [1] [2]

江戸初期
年表

江戸期中期
年表

1709年 徳川綱吉没。家宣が生類憐みの令を廃止
___ ガリバー来日(『ガリバー旅行記』)
1713年 家宣没。家継が将軍に
1714年 江島(または絵島)生島事件
1716年 ┐家継没。吉宗が将軍に(『暴れん坊将軍』)
1717年 │吉宗が大岡忠相を南町奉行に起用(『大岡越前』)
___ ├水戸綱條が忍び旅?(『暴れん坊将軍』)
1718年 ┘水戸綱條没
1719年 吉宗が天文学者・西川如見を招聘(『暴れん坊将軍』)
1720年 町火消しが「いろは」の組になる
1726年 『ガリバー旅行記』刊行
1728年 エカテリーナII誕生
1729年 平賀源内誕生
1730年 徳川宗春が尾張藩主に
1735年 青木昆陽『蕃薯考』
1736年 大岡忠相が寺社奉行に
1739年 宗春失脚
1745年 吉宗が将軍の座を家重に譲る
1751年 吉宗と忠相没。大黒屋光太夫誕生
1755年 マリー・アントワネットとオスカル誕生(『べルサイユのばら』)
1760年 平賀源内が影の軍団に協力。柘植新八が大岡忠光を暗殺(『影の軍団II』)
___ 大岡忠光失脚?(『逃亡者おりん』)
1761年? 紀伊治貞と尾張宗睦の隠れ旅に源内も同行?(『殿さま風来坊隠れ旅』)
1762年 エカテリーナIIが即位
田沼時代 家治が「お鷹組」を組織(『江戸の鷹』)
田沼時代 家治の嫡子・家基が城下を出歩く(『陽炎の辻3』)
田沼時代 秋山小兵衛が活動(『剣客商売』)
1776年 源内がエレキテルを復元(『キカイダー01』)
___ アメリカ独立宣言
1779年 平賀源内没(陽暦で翌年)
1782年 大黒屋光太夫出港、嵐に遭う(『おろしや国酔夢譚』)
1783年 イギリスがアメリカの独立を認める(『べルサイユのばら』)
___ 光太夫たちがロシアに漂着(『おろしや国酔夢譚』)
1786年 家治没
1787年 家斉が将軍となり、松平定信が寛政の改革を始める
___ 長谷川平蔵が火付盗賊改方に就任(『鬼平犯科帳』)
寛政年間 喜多川歌麿が北斎に「葛飾」を名乗るよう助言(『だましゑ歌麿』)
1789年 フランス革命開始。オスカル没(『ベルばら』)
1791年 光太夫がペテルブルクでエカテリーナIIに謁見(『おろしや国酔夢譚』)
1792年 光太夫帰国。ラックスマン来日(『おろしや国酔夢譚』)
1793年 日露会談(『おろしや国酔夢譚』)。寛政の改革終了
___ アントワネット処刑される(『ベルばら』『デビルマン』)
___ 遠山景元誕生。千葉周作誕生(あるいは1794年誕生)
1796年 エカテリーナII没。鳥居耀蔵誕生。シーボルト誕生
1798年 小杉十五郎が定信の護衛に(劇画版『仕掛人藤枝梅安・梅安荒梅雨』)
1800年 水戸斉昭誕生。伊能忠敬が蝦夷を測量

将軍が捜査のためにお鷹組を作ったのではなく、お鷹組はもとからある組織で、将軍がそれを捜査に使ったらしい。

大岡忠相の没年は「宝暦元年」を基準にすると吉宗の没年と同じ1751年。陽暦を基準にすると大岡忠相は1572年没。
松平定信の生年は「宝暦8年」を基準にすると1758年、陽暦では1759年。
平賀源内の没年は「安永8年」を基準にすると1779年、陽暦では1780年。→陰暦の元号と陽暦の西暦

文化・文政
年表

天保前後
年表

幕末
年表

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