___┌山田太郎(1991年で18歳)
1973_00
1974_01_┌野比のび太(1991年で10歳)
1975_02_│__┌山田太郎(1994年で18歳)
1976_03_│__00
1977_04_│__01
1978_05_│__02
1979_06_│__03
1980_07_│__04_┌野比のび太(1994年で10歳)
1981_08_00__05_│
1982_09_01__06_│ 「竜宮城の八日間」でのび太小学生
1983_10_02__07_│ 『大甲子園』で明訓×青田(山田高3)
1984_11_03__08_00 「にが手こくふく錠」でのび太小学生
1985_12_04__09_01 「ハリーのしっぽ」でのび太小学生
1986_13_05__10_02 『俵と白球』で山田太郎が野球を始める
1987_14_06__11_03
1988_15_07__12_04 『のび太のパラレル西遊記』公開
1989_16_08__13_05
1990_17_09__14_06
1991_18_10__15_07 神奈川明訓が新潟明訓と試合(山田高3)
1992_19_11__16_08
1993_20_12__17_09
1994_21_13__18_10 秋ドラフトで10球団が山田を指名(山田高3)
1995_22_14__19_11
1996_23_15__20_12
1997_24_16__21_13
1998_25_17__22_14 山田太郎と小林幹英、球宴でプロ初対決
1999_26_18__23_15
2000_27_19__24_16
2001_28_20__25_17
2002_29_21__26_18 「りっぱなパパになるぞ!」でのび太が大人、ノビスケ10歳くらい
2003_30_22__27_19
2004_31_23__28_20
2005_32_24__29_21
2006_33_25__30_22
2007_34_26__31_23
2008_35_27__32_24
2009_36_28__33_25
2010_37_29__34_26
1973_00
1974_01_┌野比のび太(1991年で10歳)
1975_02_│__┌山田太郎(1994年で18歳)
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1977_04_│__01
1978_05_│__02
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1980_07_│__04_┌野比のび太(1994年で10歳)
1981_08_00__05_│
1982_09_01__06_│ 「竜宮城の八日間」でのび太小学生
1983_10_02__07_│ 『大甲子園』で明訓×青田(山田高3)
1984_11_03__08_00 「にが手こくふく錠」でのび太小学生
1985_12_04__09_01 「ハリーのしっぽ」でのび太小学生
1986_13_05__10_02 『俵と白球』で山田太郎が野球を始める
1987_14_06__11_03
1988_15_07__12_04 『のび太のパラレル西遊記』公開
1989_16_08__13_05
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1991_18_10__15_07 神奈川明訓が新潟明訓と試合(山田高3)
1992_19_11__16_08
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1994_21_13__18_10 秋ドラフトで10球団が山田を指名(山田高3)
1995_22_14__19_11
1996_23_15__20_12
1997_24_16__21_13
1998_25_17__22_14 山田太郎と小林幹英、球宴でプロ初対決
1999_26_18__23_15
2000_27_19__24_16
2001_28_20__25_17
2002_29_21__26_18 「りっぱなパパになるぞ!」でのび太が大人、ノビスケ10歳くらい
2003_30_22__27_19
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2006_33_25__30_22
2007_34_26__31_23
2008_35_27__32_24
2009_36_28__33_25
2010_37_29__34_26
山田太郎の年齢2種類は『新潟明訓対神奈川明訓』と『プロ野球編』であるが、山田の年齢を80年代ののび太の年齢と考えてみると時代の流れがよくわかる。1973年生まれの山田は1991年に新潟明訓と対戦したが、この山田は1983年で10歳。また、1976年生まれの西武→東京スーパーズターズの山田は1986年で10歳。一方、のび太は「にが手こくふく錠」のときは1984年で10歳くらい、「ハリーのりっぽ」では1985年当時で10歳くらいである。80年代で小学生ののび太が90年代で高校生の平成山田太郎と同世代になる。