のび太と山田太郎年齢変遷(1970年代)

1972年
『ドラえもん』は原作連載2年目で、「ぼくの生まれた日」雑誌初出ではのび太が1962年生まれ。1972年で10歳。
『ドカベン』連載スタートは1972年。岩鬼のハッパのモデルは木枯し紋次郎の楊枝であった。
中学編の山田は明訓入学が1974年とすると1972年で14歳、中学2年である。鷹丘中学に轉校したのがこの時期だったのだろう。

1974年
『ドラえもん』ではてんとう虫コミックスが出た年で、「ぼくの生まれた日」のてんコミ第2巻収録作品では、のび太の生まれた年が1964年になっている。
『ドカベン』では山田が高1で初出場した夏の甲子園が1974年の第56回大会。5月5日生まれの山田太郎が1974年度で16歳だとすると1958年生まれになる。土井垣は1956年生まれ、岩鬼は1959年生まれ。
『プロ野球編』の土井垣はこの1974年に生まれた。

1975年
『ドラえもん』では「ツチノコ見つけた!」の雑誌初出でのび太が1975年3月で小6。1975年の8月で13歳になる予定だったので、1962年生まれになる。1975年で小4、10歳であれば1965年生まれになる。
『ドカベン』の場合、山田が夏の甲子園を終えて秋の県大会を前にしたとき、時代設定が野村克也プロ22年目の1975年に移っていた。この場合、山田は1959年生まれになる。

なお、「未来の国からはるばると」ののび太が、もし1970年1月で小4の冬休みであったとすると、1959年8月7日生まれ。山田太郎の生まれた年がが野比のび太のそれに近づいてきた。

1976年
てんコミ第9巻の「ツチノコ~」では時代設定が1976年になっている。のび太が76年で10歳だったとすると1966年生まれ。『大甲子園』の山田世代(1985年で18歳だと1967年生まれ)に近づいている。
『ドカベン』の場合、少年チャンピオン・コミックスの単行本が出た時期で考えると、1976年は山田高1秋季大会から関東大会の時期。1976年で16歳だと1961年生まれ。
すでに山田は1960年代以降に生まれた「のび太世代」に突入した。

1977年
『ドラえもん』では「りっぱなパパになるぞ!」でのび太10歳が1977年。25年後が西暦2002年であった。のび太が1977年で10歳とすると1967年生まれ。『大甲子園』の山田太郎と同世代。のび太の息子・ノビスケが2002年で10歳とすると1992年生まれである。
『ドカベン』の場合、山田高1秋の関東大会から高2春の選抜大会までの時期である。1977年で高1だと1961年生まれ、1977年で高2だと1960年生まれになる。

1978年
『ドカベン』では山田高2春の選抜から夏の予選まで。1978年で17歳であれば1961年生まれ。

1979年
『ドカベン』では山田高2夏の予選から甲子園まで。明訓が弁慶高校に敗れた年。山田は1962年生まれになる。
1972年当時で2歳だから「ぼくの生まれた日」雑誌初出時ののび太と同い年である。
『ドラえもん』ではテレビ朝日のアニメが始まった。アニメののび太は11歳なので1979年で11歳とすると1978年で10歳、1968年生まれである。

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2010年2/23