山田世代を指揮した監督II

景浦監督と太平監督の共通点
太平監督が就任したときの展開は、鷹丘中学3年時代の山田が野球部に入ったときの描写と似ている(下注釋2)。

鷹丘時代は他の中学や高校の生徒が金網越しに視察、明訓の太平時代の初期も他の高校の生徒が視察していた。

鷹丘中学時代、大河内が「打球が1塁に行ったら打者は3塁に走るべきだ」(要旨)と述べ、岩鬼は「け……競馬だって逆まわりがあるもんな」と言い、殿馬がすでに「逆まわり」をやっていた。
太平監督も就任当時、明訓高校野球部員に「逆まわり」を命じ、岩鬼は「け、競馬やあるまいし、この~~」と怒ったが、殿馬と山田が監督の言うとおりにするよう、岩鬼に助言。山田、殿馬、岩鬼の順で「逆まわり」をしたが、少なくともこの3名は元鷹丘中学野球部員である。

そして、東郷学園の小林真司が山田たちの練習の噂を聴き、馬鹿げていると想いながらも、「山田がいるので侮れない」(要旨)と考えており、これも中学編の再現である(下注釋3)。
また、鷹丘野球部時代の山田たちの練習を川越中学時代の不知火が見学しており、太平監督就任当時も不知火ではないが、白新高校の学生らしい者が見学していた。

太平が監督になり、岩鬼がキャプテンになったとき、小林真司は中学時代を想い出したのではなかろうか。

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2010年2月 2/16

関連語句
山田世代 [1] [2] [3] 山田世代を指揮 山田世代 監督 [1] … [13]


注釋1
ちなみに、太平監督の名前は「大平」でなく、「太平」であり、息子は「太平洋」と書いて「おおひらひろし」と読む。「太平洋(たいへいやう)」では「太」、「大西洋(たいせいやう)」では「大」が使われる。
北京語では「太平洋」は Taipingyang、「大西洋」は Daxiyang である。

注釋2
中学編での山田の野球部入部は文庫5巻、明訓高校編での太平監督就任は少年チャンピオン・コミックス41巻で描かれている。

注釋3
小林真司と山田世代の対戦が高校編以降、描かれていないのが惜しい。山田世代高3のとき、そのチャンスがあったが、雨天中止になったらしい。水島新司がどうしてこういう展開にしたのか不明。


参照
山田世代がいたときの明訓高校、監督別オーダー
水島新司作品関連(2010年2月~)