『ドカベン』単行本、文庫、時代設定I

山田世代高2
少チャンC40巻(1979年=昭和54年12月10日初版發行)
山田世代高2夏、明訓が弁慶に負けたところ。日ハムは大沢監督、南海は広瀬監督。

少チャンC41巻(1980年=昭和55年2月25日初版發行)
土井垣が初本塁打。
日ハムと南海の監督、選手から見て、1979年ごろ。
└→明訓敗北前後

少チャンC43巻(1980年=昭和55年7月5日初版發行)
選抜を目指した明訓×白新の秋の神奈川県地区大会。夏子がゲーム喫茶でやっていたゲームは1979年に大ブームとなったインベーダーゲームか。
太平監督が「太平って名のつく人には大物が多いでの」。
大平正芳が総理大臣だったのは1978年から80年まで。
『ゲームセンターあらし』では「アーウー」が口癖の「日本一偉い人」が假面をかぶって顔を隠し、あらしにゲームで勝負を挑んだことがある。
Wikipedia ゲームセンターあらし登場人物
太平監督の場合は「太」であり、首相だった大平の場合は「大」で始まる。

弁慶高校が花巻に敗れたとき、高代が観ていた新聞ではその記事のほかに「南海6連勝」、そして別のコマでは同じ紙面で「カルロスVSグッシー」「具志堅KO宣言」とある。新聞名は「ケイサンスポーツ」「ヨンケイスポーツ」「サンケイスポーツ」とコマごとに変わっている。
「具志堅」とは、具志堅用高のことであろう。

巻末で大宮県営球場の解説があり、「佐倉一高の長島(現巨人監督)」と「上尾高校の山崎(現西武)」がこの球場でホームランを打ったことが紹介されている。
山崎裕之は1965年から78年までロッテ、79年から84年まで西武に在籍。
やはり、1979年ごろの話であろう。
└→『ドカベン』単行本、文庫、時代設定III

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2010年2月 2/15