1979年の日本ハムと南海ホークスI

『週刊プロ野球』によると79年当時、南海の投手陣が不振で、「藤田学は故障で前期を棒に振り2勝。2年目の村上之宏(~ゆきひろ)も5勝と伸び悩み、12勝の山内と、最優秀救援投手の金城基泰(かねしろもとやす)が目立つくらい」だったそうだ。
一方、犬飼小次郎が入団した当時の新聞記事(少年チャンピオン・コミックス『ドカベン』第40巻187ページ)によると、広瀬監督の談話として「前期は期待していた若手三羽ガラスの藤田学、森口、村上之がいずれも故障で投手陣総くずれやったが、ようやく後期は燃えているところや」とある。

一方、日本ハムは第40巻の188ページで大沢監督が「後期5位」と言っている。『週刊プロ野球』によると、1979年後期で日ハムが5位だった時期が7月末で2回、8月で1回ある。
『ドカベン』では1979年夏の甲子園がまだ終わっていなかった時期である。

土井垣入団が決定した直後、日ハムと南海の試合のスコアボードが第40巻巻末にある。
ここで、土井垣入団当時の『ドカベン』における南海のオーダーがわかる。数字は守備位置。数字がないのは投手(山内)と指名打者(王天上)であろう。
山内、5藤原、4河埜、3片平、7メイ、王天上、9山下、8新井、2 ?田、6定岡

次に1979年における日本ハムのベスト・オーダーは以下のとおり。数字は打順。
1富田勝(左)、2島田誠(中)、3柏原純一(一)、4ミッチェル(右)、5ユーイング(指)、6古屋英夫(三)、7加藤俊夫(捕)、8高代延博(遊)、9菅野光夫(二)、投手;高橋直樹

『ドカベン』第41巻の土井垣初打席。
44ページの日ハムのオーダー。数字は守備位置。土井垣は代打。1番打者は富田か。
7?、8島田、3柏原、9ミッチェル、5古屋、Dユーイング、土井垣、6高代、5吉岡。

同じく44ページの南海のオーダー。村上が投手(金城のあとの救援)。
5藤原、8新井、3片平、7メイ、D王天上、4河埜、9山下、6定岡、9黒田

日ハムは南海の金城から1点を取ったところで代打に千藤を起用。南海が金城に代わって村上を起用したところで日ハムは代打の代打として土井垣を起用。
土井垣の初HRを報じる新聞記事では、その新聞が出た日に甲子園準決勝
Y!Japan
1979 夏 甲子園 で検索

その記事には過去の初打席HRの記録が記載されており、その中で、当時において一番「新しい」記録だったのは昭和54年4月11日、巨人の中井康之の記録であった。

@kyojitsurekishi #ドカベン の高校野球編で土佐丸高校の犬飼小次郎は1979年に南海ホークスに入団したことになっているが、プロ野球編ではダイエーホークスに入ったことになっており、プロ編の時代設定では計算上1993年入団、明訓の岩鬼正美は95年ダイエー入団である。
21:19 - 2014年9月27日


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2010年2/15