「旧初代」~10代目 ~20代目 ~30代目 ~40代目+41代目
解説1 解説2 解説3 解説4
1980年に映画『のび太に恐竜』が封切られた。この1980年でのび太が11歳だと1969年生まれの10代目になる。最も10代目は1980年3月の時点では10歳、小4と小5の間の春休みであった。
原作「竜宮城の八日間」ではのび太の少年時代が1982年。こののび太は1972年生まれとすると13代目。
「スパルタ式にが手こくふく錠」の話では鼠年の正月ののび太とドラえもんが描かれ、年賀状を見ると1984年である。
のび太が1984年の正月で10歳なら1983年の誕生日で10歳になったのだから、1973年生まれの14代目。
1984年の誕生日で10歳とすれば1974年生まれの15代目になる。
解説1 解説2 解説3 解説4
1980年に映画『のび太に恐竜』が封切られた。この1980年でのび太が11歳だと1969年生まれの10代目になる。最も10代目は1980年3月の時点では10歳、小4と小5の間の春休みであった。
原作「竜宮城の八日間」ではのび太の少年時代が1982年。こののび太は1972年生まれとすると13代目。
「スパルタ式にが手こくふく錠」の話では鼠年の正月ののび太とドラえもんが描かれ、年賀状を見ると1984年である。
のび太が1984年の正月で10歳なら1983年の誕生日で10歳になったのだから、1973年生まれの14代目。
1984年の誕生日で10歳とすれば1974年生まれの15代目になる。
「ハリーのしっぽ」ののび太は1985年で10歳とすれば1975年生まれの16代目。
「ツチノコ見つけた!」の雑誌初出のときののび太とジャイアンが中学1年の夏休みを迎えていたとき、「ハリーのしっぽ」ののび太が生まれたことになる。
「ツチノコ見つけた!」の雑誌初出のときののび太とジャイアンが中学1年の夏休みを迎えていたとき、「ハリーのしっぽ」ののび太が生まれたことになる。
ちなみに1985年に相武紗季が生まれており、この相武紗季は2006年にドラマ『レガッタ』に出演、そのロケ現場にやってきた野次馬の中に当時小学生ののび太がいたらしい。この2006年のアニメののび太はおそらく1995年生まれ、36代目に相当する。
「のび太の結婚前夜」は1981年と1999年にアニメ化された。のび太の結婚は「雪山のロマンス」がのび太少年時代から「14年後」なのでその時期と思われるが、「結婚前夜」の2回のアニメは18年の間隔がある。
1981年で11歳ののび太は1970年生まれで11代目に相当する。1999年で11歳ののび太は1988年生まれであり、29代目。『緑の巨人伝』(2008年)でゲスト声優として参加した堀北真希がこの1988年生まれに相当する。
1999年の『のび太の宇宙漂流記』のテレビCMでは「20年前、のび太くんだったきみたちへ」という宣傳文句が使われていた。
1981年で11歳ののび太は1970年生まれで11代目に相当する。1999年で11歳ののび太は1988年生まれであり、29代目。『緑の巨人伝』(2008年)でゲスト声優として参加した堀北真希がこの1988年生まれに相当する。
1999年の『のび太の宇宙漂流記』のテレビCMでは「20年前、のび太くんだったきみたちへ」という宣傳文句が使われていた。
のび太が40種類いるなら、『ドラえもん』の世界も40種類はあることになる。
源静香の父親の顔が一定していないこと、ドラえもんもやっていた恐竜狩りが途中で「犯罪」になったことなど、『ドラえもん』の世界が複数あると考えれば納得できる。
源静香の父親の顔が一定していないこと、ドラえもんもやっていた恐竜狩りが途中で「犯罪」になったことなど、『ドラえもん』の世界が複数あると考えれば納得できる。
「ツチノコ見つけた!」の雑誌初出ではのび太は1975年3月に小学校卒業。小学校入学は1960年。1970年の正月は小1の冬休み、「ドラえもんの大予言」は小1の3学期だったことになる。