宿泊先のホテルで轉落死したらしい。
球団はこういうことは防げないのか気になる。

 

野球選手が現役のままで死去するというのは異例であろう。

 

 

『侍ジャイアンツ』で番場蛮が志願してつけた背番号4は、作中でも本来、巨人では永久缺番(下注釋)であった。
これについては作中の川上監督も述べている。
巨人軍の背番号4は黒沢俊夫選手(1914~1947、下注釋)がつけていたもので、黒沢選手は1947年に病気で急死している。

 

 

また、豊福きこうの『水原勇気0勝3敗11S』の180ページによると、原作『侍ジャイアンツ』で番場が指名された1970年秋のドラフトで実際に1位指名された湯口敏彦(1952~1973)という投手は一度も一軍公式戦のマウンドを踏むことなく、1973年のキャンプのときに病気で急死している。

 

 

もし、単なる事故であれば防止策を考えるべきだ。マスコミが「故人はどういう人だったか」などということを繰り返しても何の意味もない。

 

 

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2010年2月 2/6

注釋
巨人では永久缺番
日本プロ野球界の永久缺番のうち、巨人軍における永久缺番は1(王貞治)、3(長嶋茂雄)、4(黒沢俊夫)、14(沢村栄治)、16(川上哲治)、34(金田正一)である。

 

 

1960年代と70年代の野球漫画では、主人公が背番号16を受け継ぐ話がいくつかある。
梶原野球漫画では16番は星飛雄馬がつけており、4番は番場蛮がつけて、番場が殉職したので名実ともに永久缺番かと思いきや、藤田監督のときに巨人に入った番場の甥も4番であった。なお、番場の甥が登板する話は梶原没後4年たって井上コオによって描かれた『よみがえれ侍』である。
これにより、野球漫画では巨人軍の16番、4番の「缺番」は実質、無効となった。
└→星飛雄馬の背番号について

 

 

黒沢俊夫選手
歌手の黒沢年雄(=~年男)とは別人。

参照
41歳寿命説の真偽III