享保の改革前後年表

大岡忠相は大岡忠高の息子で、親戚に当たる忠直の養子になった。
TBSで加藤剛が演じた『大岡越前』では片岡千恵蔵が忠高を演じた。
テレビ朝日の『暴れん坊将軍』では田村亮が演じた大岡忠相の「親父」が登場。

「生類憐みの令」は井口朝生の本では「生類憐れみの令」である。
水戸綱條は井口朝生の本では「綱条」である。
鶴姫は吉宗の兄・綱教(つなのり)の妻だったらしいが、『暴れん坊将軍』では吉宗の許嫁の名。
新之助は越前国丹生郡には直接には行かず、家臣が統治していたらしい。
『新吾十番勝負』では越前国丹生郡領主時代の新之助が描かれ、小説では越前国鯖江3万石の領主・頼方になっているらしい。

紀伊の吉宗が水戸光圀と同格の権中納言になったのは、光圀没後7年たった1707年のことであった。

『暴れん坊将軍』の第9部第1話で雲切(雲霧)仁左衛門が登場。吉宗が仁左衛門を斬り、ラストシーンのナレーションによると、この件を切っ掛けに、吉宗は連座制を廃止したことになっている。
連座制が廃止されたのはネットで観ると1742年と書かれてあるものもあり、Yahoo!百科事典では1837年の法令でゆるめられたとある。
Y!Japan 連座制 吉宗 連座制 吉宗 1742
Wikipedia 享保の改革>略年譜 徳川吉宗>年表 大岡忠相>経歴
Google 連座制 吉宗 1742
Y!百科事典 連座制

1787年であれ、1742年であれ、このときは大岡忠相はすでに町奉行ではなく、1736年に寺社奉行になったあとである。
また、1742年とすると尾張宗春が1739年に失脚して3年後である。

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2010年2月 2/3