主に井口朝生『徳川吉宗』(成美文庫)を参考にした。
1619年 徳川頼宣が和歌山城に入城
1680年 家綱が死去。綱吉が将軍に
1684年 源六(のちの徳川吉宗)誕生
1685年 「生類憐れみの令」(または「~憐みの令」)が出る
1686年 源六3歳のころ、大岡忠相(10歳)が大岡忠右衛門忠真の養子に
1687年 「生類~」と「愛犬令」が厳しくおこなわれるようになる
1690年 水戸光圀が隠居。綱條が水戸藩主に
___ 12月、綱吉が江戸に湯島聖堂をこしらえる
1693年 大岡忠相17歳
1694年 源六11歳、名を新之助に改名(井口朝生『徳川吉宗』17ページ)
___ 松尾芭蕉没
1695年 新之助12歳で江戸へ出府、從五位下主税頭に叙任される
1696年 新之助13歳で綱吉に謁見。12月に從四位下左近衛権少将に昇進
___ 大岡忠相20歳。從兄弟の忠英が高力忠弘を斬って自らも死去
___ 徳川通春(~みちはる)誕生。のちの尾張宗春
1697年 4月、綱吉が紀伊徳川家上屋敷に来訪
___ 控室にいた新之助(14歳)が呼び出され、綱吉に謁見
___ 新之助が越前国丹生郡の3万石の領地を与えられる
1698年 柳沢吉明が老中上座となり、吉保に改名(井口朝生『徳川吉宗』38ページ)
1700年 忠相の養父・忠真没。忠相は26歳で書院番の番士に
___ 水戸光圀没
1701年 松の廊下で浅野長矩が吉良義央に斬りつける。浅野切腹
1702年 12/14~15(陽暦で翌年初め)、大石良雄ら47名の赤穂浪士が吉良を殺害
1703年 大石良雄ら切腹
___ 大地震。大岡忠相が復興に精励
1705年 頼方が紀伊藩主となり、名を吉宗に改める(42ページ)
1706年 真宮理子(さなのみやまさこ)が正室に。1710年没
1707年 吉宗が権中納言に
___ 宝永4年、富士山噴火(『さくや妖怪伝』)
1708年 屋久島に宣教師・シドッチ来日
1709年 綱吉没。家宣が将軍に。家継誕生
___ ガリバー来日(『ガリバー旅行記』)
1710年 「武家諸法度」改定
1711年 徳川家重誕生。母は吉宗の側室・お須磨の方(深徳院)
1712年 徳川家宣没。家継が将軍に。大岡忠相が山田奉行に
1714年 絵島・生島事件(井口朝生『徳川吉宗』66~70ページ、映画『大奥』)
1715年 側室・お古牟(こん)の方=本徳院がのちの田安宗武を出産
1716年 吉宗が将軍に
1717年 吉宗が大岡忠相を町奉行に抜擢
1718年 忠相が町年寄を集め、町火消しについての決まりを定める
___ 水戸綱條没
1719年 西川如見を招聘
1720年 吉宗が19回鷹狩り。洋書の禁輸をゆるめる
1721年 綱吉13回忌。目安箱設置
___ 側室・お梅の方(深心院)が小五郎を出産。のちの一橋宗尹(~むねただ)
1722年 上(げ)米の制。小石川養生所設立
1726年 下総で大がかりな鷹狩り
1728年 吉宗が日航東照宮参詣。天一坊事件
1730年 通春が尾張藩主に
1731年 通春が吉宗から一字もらって宗春に改名
1732年 瀬戸内海を中心に蝗(いなご)などが大發生
1733年 江戸で暴動(打ちこわし)
1735年 青木昆陽『蕃藷考』刊行。吉宗が昆陽に江戸で薩摩芋の試作を命ずる
1736年 大岡忠相が寺社奉行に
1739年 吉宗が宗春に隠居禁止を命ずる。青木昆陽が幕府の書物方に
1742年 「公事方御定書」完成
1737年または1742年? 吉宗が連座制を廃止
1745年 吉宗が将軍の座を家重に譲り、隠居
1751年 吉宗没。忠相没
└→補足
1680年 家綱が死去。綱吉が将軍に
1684年 源六(のちの徳川吉宗)誕生
1685年 「生類憐れみの令」(または「~憐みの令」)が出る
1686年 源六3歳のころ、大岡忠相(10歳)が大岡忠右衛門忠真の養子に
1687年 「生類~」と「愛犬令」が厳しくおこなわれるようになる
1690年 水戸光圀が隠居。綱條が水戸藩主に
___ 12月、綱吉が江戸に湯島聖堂をこしらえる
1693年 大岡忠相17歳
1694年 源六11歳、名を新之助に改名(井口朝生『徳川吉宗』17ページ)
___ 松尾芭蕉没
1695年 新之助12歳で江戸へ出府、從五位下主税頭に叙任される
1696年 新之助13歳で綱吉に謁見。12月に從四位下左近衛権少将に昇進
___ 大岡忠相20歳。從兄弟の忠英が高力忠弘を斬って自らも死去
___ 徳川通春(~みちはる)誕生。のちの尾張宗春
1697年 4月、綱吉が紀伊徳川家上屋敷に来訪
___ 控室にいた新之助(14歳)が呼び出され、綱吉に謁見
___ 新之助が越前国丹生郡の3万石の領地を与えられる
1698年 柳沢吉明が老中上座となり、吉保に改名(井口朝生『徳川吉宗』38ページ)
1700年 忠相の養父・忠真没。忠相は26歳で書院番の番士に
___ 水戸光圀没
1701年 松の廊下で浅野長矩が吉良義央に斬りつける。浅野切腹
1702年 12/14~15(陽暦で翌年初め)、大石良雄ら47名の赤穂浪士が吉良を殺害
1703年 大石良雄ら切腹
___ 大地震。大岡忠相が復興に精励
1705年 頼方が紀伊藩主となり、名を吉宗に改める(42ページ)
1706年 真宮理子(さなのみやまさこ)が正室に。1710年没
1707年 吉宗が権中納言に
___ 宝永4年、富士山噴火(『さくや妖怪伝』)
1708年 屋久島に宣教師・シドッチ来日
1709年 綱吉没。家宣が将軍に。家継誕生
___ ガリバー来日(『ガリバー旅行記』)
1710年 「武家諸法度」改定
1711年 徳川家重誕生。母は吉宗の側室・お須磨の方(深徳院)
1712年 徳川家宣没。家継が将軍に。大岡忠相が山田奉行に
1714年 絵島・生島事件(井口朝生『徳川吉宗』66~70ページ、映画『大奥』)
1715年 側室・お古牟(こん)の方=本徳院がのちの田安宗武を出産
1716年 吉宗が将軍に
1717年 吉宗が大岡忠相を町奉行に抜擢
1718年 忠相が町年寄を集め、町火消しについての決まりを定める
___ 水戸綱條没
1719年 西川如見を招聘
1720年 吉宗が19回鷹狩り。洋書の禁輸をゆるめる
1721年 綱吉13回忌。目安箱設置
___ 側室・お梅の方(深心院)が小五郎を出産。のちの一橋宗尹(~むねただ)
1722年 上(げ)米の制。小石川養生所設立
1726年 下総で大がかりな鷹狩り
1728年 吉宗が日航東照宮参詣。天一坊事件
1730年 通春が尾張藩主に
1731年 通春が吉宗から一字もらって宗春に改名
1732年 瀬戸内海を中心に蝗(いなご)などが大發生
1733年 江戸で暴動(打ちこわし)
1735年 青木昆陽『蕃藷考』刊行。吉宗が昆陽に江戸で薩摩芋の試作を命ずる
1736年 大岡忠相が寺社奉行に
1739年 吉宗が宗春に隠居禁止を命ずる。青木昆陽が幕府の書物方に
1742年 「公事方御定書」完成
1737年または1742年? 吉宗が連座制を廃止
1745年 吉宗が将軍の座を家重に譲り、隠居
1751年 吉宗没。忠相没
└→補足