貴乃花が当初7票と予想されたところで10票を獲得。理事に当選した。
それで大島親方(元旭国)が落選。
宇治川親方(元幕内光法)が一度は退職を表明。留意されて撤回した模様。

 

建て前は辞任、実質回顧というのは今のアルバイトでもありそうだが、宇治川親方は退職覚悟で貴乃花に投票したようだ。

 

 

各界も日本の政界に近い。

 

 

細川政権ができたとき、当時は自民党内にいた小沢・羽田グループが、野党の出した宮沢内閣不信任案に賛成し、宮沢内閣は倒れ、非自民政権ができた。のちに小沢・羽田グループは自民党を離れ新生党となった。

 

 

自社さ政権ができたとき、河野洋平総裁の自民党が村山富市を推すことを決め、自民党の海部俊樹がそれに納得できず、一時離党して小沢・羽田グループに参加し、公明党を吸収して新進党となり、海部が党首になった。グループの方針に反したら一度は去るのが責任の取り方なんだろう。
だが新進党は解答、海部はのちに自民党に戻った。
この造反した親方は花田勝や小錦みたいに別の世界でやっていければいいんだが。

 

 

選挙中、貴乃花一派は「負けても戦う価値がある」ということを言っていた。
龍虎は「貴乃花には何もできない」と言っている。理事長になれば別だが、若手の一理事では無力だということだ。

 

 

大東亜戦争では「勝てない戦争をした日本の指導者は愚かだった」と言われるが、勝算のない戦いを挑むいみはあるのであって、過去の選挙で負けた政党は次には選挙に参加しなければいいことにある。
中国はアヘン戦争で英国に負け、日清戦争で日本に負けて日中戦争で日本に勝った。
戦争への真の反省は「次にやるときは勝つ」である。

 

 

『ミヤネ屋』で司会者が龍虎に「どうして日本人横綱が出ないのか」と質問。コメンテーターの人が「今の若い子は修学旅行でお風呂入る時も水着を着て入る」というように力士の恰好を恥ずかしがる傾向を指摘。それなら女子の相撲のようにユニフォームと短パンの上にまわりをつけるようにしたらどうか。
モンゴルやロシア、東欧の力士が我慢している相撲のしきたりが日本人から敬遠されているのも皮肉な話だ。

 

 

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2010年2月 2/3